至っていよいよ有名になったのである。慶長五年に池田輝政がここに入って天主閣を作ったので、それがまた姫路の天主として有名なものになった。しかし徳川時代になってからも、ここの城主はたびたび代っている。池田の次に本多忠政、次は松平忠明、次は松平直基、次は松平忠次、次は榊原政房、次は松平直矩、次は本多政武、次は榊原政邦、次は松平明矩という順序で約百四十年のあいだに城主が十代も代っている。平均すると一代わずかに十四年ということになるわけで、こんなに城主の交代するところは珍しい。それはこの姫路という土地が中国の要鎮であるためでもあるが、城主が余りにたびたび変更するということも、小坂部伝説にはよほどの影響をあたえているらしい。
 それについて、こんなことが伝えられている。この城の持ち主が代替りになるたびに、かならず一度ずつは彼《か》の小坂部が姿をあらわして、新しい城主にむかってここは誰の物であるかと訊く。こっちもそれを心得ていて、ここはお前様のものでござりますと答えればよいが、間違った返事をすると必ず何かの祟りが[#「祟りが」は底本では「崇りが」]ある。現にある城主が庭をあるいていると、見馴れない美しい上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]があらわれて、例の通りの質問を出すと、この城主は気の強い人で、ここは将軍家から拝領したのであるから、俺のものだと、きっぱり云い切った。すると、その女は怖い眼をしてじろりと睨んだままで、どこへかその姿を隠したかと思うと、城主のうしろに立っている桜の大木が突然に倒れて来た。城主は早くも身をかわしたので無事であったが、風もない晴天の日にこれほどの大木が俄かに根こぎになって倒れるというのは不思議である。つづいて何かの禍いがなければよいがと、家中一同ひそかに心配していると、その城主は間もなく国換えを命じられたということである。こんな話が昔からいろいろ伝えられているが、要するに口碑にとどまって、確かな記録も証拠もない。
 小坂部明神なるものが祀られてあるにも拘らず、かれは天主閣に棲んでいると伝えられている。由来、古い櫓や天主閣の頂上には年古る猫や鼬《いたち》その他の獣が棲んでいることがあるから、それらを混じて小坂部の怪談を作り出したのかも知れない。支那にも何か類似の伝説があるかと思って心がけているが、寡聞にして未だ見あたらない。日本
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