かず、奉公人ともつかずに連れ歩いている崔英《さいえい》という十五、六歳の少女は、五、六年前に旅先で拾って来たのだそうで、なんでも李が旅興行をして歩いているうち、その頃は今ほどの人気役者ではなかったので、田舎の小さな宿屋にくすぶっていると、そこに泊り合せた親子づれの旅商人《たびあきんど》があって、その親父の方は四、五日わずらって死んだ。その病中、李は親切に世話をしてやったので、親父も大層よろこんで、死にぎわに自分のあとの事をいろいろ頼んだそうだ。頼まれて引取ったのがその娘の崔英で、まだ十一か二の小娘であったのを、自分の手もとに置いて旅から旅を連れてあるいているというのだ。一事が万事、まずこういった風であるから、彼は一座の者から恨まれているような形跡はちっともなかった。それであるから、彼は蘇小小の霊に誘われて死んだということにして置けば、まことに詩的な美しい最期となるのであったが、意地のわるい役人たちはどうもそれでは気が済まないとみえて、さらに一策を案じ出した。勿論、最初から湖畔の者に注意して、何か怪しい者を見たらばすぐに訴え出ろと申付けてはおいたのだが、別に二人の捕吏《ほり》を派出して、毎晩かの蘇小小の墓のあたりを警戒させることにした。」
「誰でも考えそうなことだね。」と、わたしは思わず笑った。
「誰でも考えそうなことをまず試みるのが本格の探偵だよ。」と、K君は相手を弁護するように言った。「見たまえ。それが果して成功したのだ。」
三
少しやり込められた形で、わたしはぼんやりとK君の顔をながめていると、彼はやや得意らしく説明した。
「二人の捕吏が蘇小小の墓のあたりに潜伏していると、果してそこへ二つの黒い影があらわれた。宵闇ではあるが、星あかりと水あかりで大抵の見当は付く。その影はふたりの女と判ったが、その話し声は低くてきこえない。やがて二つの影は離れてしまいそうになったので、隠れていた捕吏は不意に飛出して取押えようとすると、ひとりの女はなかなか強い。忽ちに大の男ふたりを投げ倒して、闇のなかへ姿を隠してしまったが[#「しまったが」は底本では「しまつたが」]、逃げおくれた一人の女はその場で押えられた。よく見ると、それは十五、六歳の少女で、前にいった崔英という女であることが判ったので、捕吏はよろこび勇んで役所へ引揚げた。こうなると、少女でも容赦はない。拷問して白状させるという意気込みで厳重に吟味すると、崔英は恐れ入って逐一白状した。まずこの少女の申立てによると、かの広東における舞台の幽霊一件は、まったく李香のお芝居であったそうだ。」
「幽霊の一件は嘘か。」
「李がなぜそんな嘘を考え出したかというと、崔の父の旅商人というのは、さきに旅人をぶち殺してその銀嚢を奪い取った土工の群れの一人であったのだ。彼は分け前の銀《かね》をうけ取ると共に、娘を連れてその郷里を立去って、その銀を元手に旅商人になったが、比較的正直な人間とみえて、昔の罪に悩まされてその後はどうもよい心持がしない。からだもだんだん弱って来て、とうとう旅の空で死ぬようになった。その時かの李香が相宿《あいやど》のよしみで親切に看病してくれたので、彼は死にぎわに自分の秘密を残らず懺悔《ざんげ》して、自分は罪のふかい身の上であるから、こうして穏かに死ぬことが出来れば仕合せである。ただ心がかりは娘のことで、父をうしなって路頭《ろとう》に迷うであろうから、素姓の知れない捨子を拾ったとおもって面倒をみて、成長の後は下女にでも使ってくれと頼んだ。李はこころよく引受けて、孤児《みなしご》の娘をひき取り、父の死体の埋葬も型のごとくに済ませてやったが、ここでふと思い付いたのが舞台の幽霊一件だ。崔の父から詳しくその秘密を聞いたのを種にして、かれは俳優だけにひと狂言書こうと思い立ったらしい。王の家をたずねて、お前の母の塚には他人の死骸が合葬してあると教えてやったところで、幾らかの謝礼を貰うに過ぎない。むしろそれを巧みに利用して、自分の商売の広告にした方がましだと考えたので、今までは関羽を売りものにしていた彼が俄かに包孝粛の狂言を上演することにした。そうして広東の三水県へ来て、その狂言中に幽霊が出たといい、またその幽霊が墓のありかを教えたといい、細工《さいく》は流々《りゅうりゅう》、この狂言は大当りに当って、予想以上の好結果を得たというわけだ。さっきも話した通り、かの幽霊は李香の眼にみえるばかりで、余人の眼にはちっとも見えなかったというのも、あとで考えれば成程とうなずかれるが、その時はみんな見事に一杯食わされたのだ。そこで、彼は県令から御褒美を貰い、王家から謝礼を貰い、それから俄かに人気を得て、万事がおもう壺に嵌《はま》ったのだが、やはり因果《いんが》応報とでもいうか、彼は崔の父によってその運
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