の後、どこにも滅多《めった》に空家のあろうはずはなく、さんざん探し抜いた揚句の果に、河野義博君の紹介でようようここに落付くことになったのは、まだしもの幸いであるといわなければなるまい。これでともかくも一時の居どころは定まったが、心はまだ本当に定まらない。文字通りに、箸一つ持たない丸焼けの一家族であるから、たとい仮住居にしても一戸を持つとなれば、何かと面倒なことが多い。ふだんでも冬の設けに忙がしい時節であるのに、新世帯持の我々はいよいよ心ぜわしい日を送らなければならなかった。
 今度の家は元来が新しい建物でない上に、震災以来|殆《ほとん》どそのままになっていたので、壁はところどころ崩れ落ちていた。障子も破れていた。襖《ふすま》も傷《いた》んでいた。庭には秋草が一面に生いしげっていた。移転の日に若い人たちがあつまって、庭の草はどうにか綺麗に刈り取ってくれた。壁の崩れたところも一部分は貼ってくれた。襖だけは家主から経師屋《きょうじや》の職人をよこして応急の修繕をしてくれたが、それも一度ぎりで姿をみせないので、家内総がかりで貼り残しの壁を貼ることにした。幸いに女中が器用なので、先《ま》ず日本紙で下貼りをして、その上を新聞紙で貼りつめて、更に壁紙で上貼りをして、これもどうにかこうにか見苦しくないようになった。そのあくる日には障子も貼りかえた。
 その傍《かたわ》らに、わたしは自分の机や書棚やインクスタンドや原稿紙のたぐいを買いあるいた。妻や女中は火鉢や盥《たらい》やバケツや七輪のたぐいを毎日買いあるいた。これで先ず不完全ながらも文房具や世帯道具が一通り整うと、今度は冬の近いのに脅かされなければならなかった。一枚の冬着さえ持たない我々は、どんな粗末なものでも好いから寒さを防ぐ準備をしなければならない。夜具の類は出来合いを買って間にあわせることにしたが、一家内の者の羽織や綿入れや襦袢《じゅばん》や、その針仕事に女たちはまた忙がしく追い使われた。
 目白に避難の当時、それぞれに見舞いの品を贈ってくれた人もあった。ここに移転してからも、わざわざ祝いに来てくれた人もあった。それらの人々に対して、妻とわたしとが代る代るに答礼に行かなければならなかった。市内の電車は車台の多数を焼失したので、運転系統が色々に変更して、以前ならば一直線にゆかれたところも、今では飛んでもない方角を迂回して行かな
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