今夜の狂言は「菅原」と「伊勢音頭」で、六三郎は八重とおこんとを勤めたのですが、いつもよりも鬘の重い頭はなんだかぼんやりしていて、舞台もろくろくに身にしみませんでした。田舎の芝居は閉場《はね》が遅いので、自分の役をすまして宿へ帰ったのは夜の九つ過ぎ、今の十二時過ぎでしたろう。帰ると、宿の店口には大きな男が三人ばかり、たばこをのんで待っていました。六三郎の顔を見ると、いずれもばらばらと寄って来て、「おい、気の毒だがちょいとそこまで来てくれ。」と言う。そのゆく先きは大抵判っています。昼間のことを思い合わして、六三郎ははっと立ち竦んでしまいましたが、いまさら否の応のといったところで仕方がありません。
とかく遅れ勝の六三郎を、三人は引き摺るようにして三、四町ばかり連れて行きました。町を出はずれると、暗い木のかげには又二、三人の男が立っていて、これも六三郎の前後を取り巻いて行きました。長い田圃路《たんぼみち》の夜露を踏んで、六三郎は黙って歩きました。ほかの男たちもだまって歩いていました。田圃を通り過ぎると、人家が又ちらほらと見えて来て、一軒の大きな家の前に着きますと、送り狼のような男たちは二、三人さきへ駈け抜けて内へはいりました。六三郎はあとから連れ込まれました。
半分はもう夢中でしたから、六三郎にもよくは判りませんでしたろうが、ともかくも幾間もある広い家の奥へ通されると、ここは三十畳以上もあろうかと思われる大きな座敷で、幾つかの燭台が煌々とついています。正面の床の間の前に控えているのが親分の吉五郎で、年のころは四十七八の肥った男、左の眉のはずれには大きな切傷の痕がただれて残っています。その両側には二、三十人の子分がずらりと居ならんで、今が酒盛りの真っ最中です。座敷の下《しも》の方《かた》には六枚折りの屏風が逆さに立ててありました。
六三郎の顔をみると、吉五郎はにやにや笑いながら、「さあ、遠慮なしにこっちへ来なせえ。」と、自分のとなりに坐らせました。無論、幾たびも辞退したのですけれども肯《き》きません、子分たちは無理無体に六三郎の手を取って、親分のとなりの席へ押しすえたので、もう逃げることも出来ません。ただ、蒼くなって小さくなって、行儀よく坐っていますと、吉五郎は「わたしは鰍沢の吉五郎という者だ。お前たちが今度こっちへ乗り込んでたいそう評判がいいというのを聞いて、わたしも
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