今わかった。かれらは動物学研究のためでも何でもない。下座敷《したざしき》に泊まっている三人の女学生をおどそうという目的で、かの奇怪な動物を買い込んだのであった。若い女学生たちは下座敷のひとつの蚊帳のなかに寝床を並べている。その枕もとへ山椒の魚をそっと這い込ませて、彼女らにきゃっと言わそうという悪いたずらで、学生のひとりは夜の更けるのを待って、新聞紙に包んだ山椒の魚を持って下座敷へ忍んで行って、それが首尾よく成功したらしく、かの女学生たちは夜なかにみんな飛び起きて悲鳴をあげるという大騒ぎを惹き起こしたのであった。
どこの学生だか知らないが、帰省の途中か、避暑旅行か、いずれにしても若い女に対して飛んでもない悪いたずらをしたものだと、僕は苦々しく思いながら再び枕につくと、さらに第二の騒動が出来した。山椒の魚におどろかされた女学生たちは、その正体が判ってようよう安心して、いずれも再び枕につくと、そのうちの二人が急に苦しみ出した。
宿でもおどろいて、すぐに近所の医師を呼んで来ると、なにかの食い物の中毒であろうという診断であった。しかしその一人は無事で、そのいうところによると、三人は昼間から買食いなどをした覚えもない。単に宿の食事を取っただけであるから、もし中毒したとすれば宿の食い物のうちに何か悪いものがまじっていたに相違ないとのことであった。医師はとりあえず解毒剤をあたえたが、二人はいよいよ苦しむばかりで、夜のあけないうちに枕をならべて死んでしまった。こうなると、騒ぎはますます大きくなって、駐在所の巡査もその取り調べに出張した。
女学生たちのゆう飯の膳に出たものは、山女《やまめ》の塩焼と豆腐のつゆと平《ひら》とで、平の椀には湯葉と油揚《あぶらげ》と茸《きのこ》とが盛ってあった。茸は土地の者も名を知らないが、近所の山に生えるものでかつて中毒したものはないというのであった。ことにおなじ物を食った三人のうちで一人は無事である。いたずら者の学生二人も、僕も、やはりそれを食わされたのであるが、今までのところではいずれも別条がない。そうして見ると、きっと食い物のせいだとはいわれまいと、旅籠屋の方で主張するのも無理はなかった。しかし何といっても人間二人が一度に変死したのだから容易ならぬ事件である。駐在所だけの手には負えないで、近所の大きい町から警部や医師も出張して、厳重にその取り調べを開始することになった。ゆうべ悪いたずらをした学生たちもこの旅籠屋を立ち去ることを許されなかった。
そのなかで僕だけは全然無関係であるから、自由に出発することが出来たのであるが、この事件の落着がなんとなく気にかかるので、僕ももう一日ここに滞在することにして、一種の興味をもってその成り行きをうかがっていると、午飯《ひるめし》を食ってしまった頃に、近所の町から東京の某新聞社の通信員だという若い男が来た。商売柄だけに抜け目なくそこらを駈け廻って、なにかの材料を見つけ出そうとしているらしく、僕の座敷へも馴れなれしくはいって来て、なにか注意すべき材料はないかと訊いた。訊かれても僕はなんにも知らない、かえって先方からこんな事実を教えられた。
「あの女学生は東京の○○学校の寄宿舎にいる人達で、なにか植物採集のためにこの地へ旅行して来たのだそうです。死んだ二人は藤田みね子と亀井兼子、無事な一人は服部近子、三人ともにふだんから姉妹《きょうだい》同様に仲よくしていたので、今度の夏休みにも一緒に出て来たところが、二人揃ってあんなことになってしまったものですから、生き残った服部というのは、まるで失神したように唯ぼんやりしているばかりで、なにを訊いても要領を得ないには警察の方でも弱っているようです。」
「なにしろ気の毒なことでしたね。」と、僕は顔をしかめて言った。実際、若い女学生が二人までも枕をならべて旅に死ぬというのは、あまりに悲惨の出来事であると思った。
「ところで、その前に山椒の魚の騒ぎがあったそうですね。」と、通信員はささやいた。「それとこれと何か関係があるのでしょうか。あなたの御鑑定はどうです。」
それも僕にはまるで見当がつかなかった。かの悪いたずらと変死事件とのあいだに、なんらかの脈絡があるかないか、それはすこぶる研究に値する問題であるとは思いながらも、その当時の僕には横からも縦からも、その端緒をたぐり出しようがなかった。
「一体あの学生はどこの人です。やはり東京から来たんですか。」
「そうです。」と、通信員はさらに説明した。「勿論ここへは別々に来たのですが、一方の女学生たちとは東京にいるときから知っていて、偶然にここで落ち合ったらしいのです。」
「では、前から知っているんですか。」と、僕も初めてうなずいた。
いくらいたずら好きの学生たちでも、さすがに見ず知らずの女達に対し
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