、生き残った服部近子は駐在所へ呼び出されて、なにか厳重の取り調べを受けているらしく、夜のふけるまで帰って来なかった。八月の初めというのに、その晩は急に冷えて来て、僕は夜なかに幾たびか眼をさました。
 あくる日の午前中に東京から三人の男が来た。ひとりは学校の職員で、他の二人は死者の父と叔父とであるということを、僕は宿の女中から聞かされた。三人は蒼ざめた、おちつかない顔をして、旅籠屋と駐在所とのあいだを忙がしそうに往復していたが、その日もやがて暮れ切った頃に二人の若い女の死体は白木の棺に収められて、旅籠屋の門口《かどぐち》を出た。連れの女学生一人と、東京から引き取りに来た男三人と、宿の者も二人付き添って、町はずれの方へ無言でたどって行った。学生二人も少しおくれて、やはりその一行のあとにつづいて行った。
 僕も宿の者と一緒に門口まで見送ると、葬列に付き添って行く宿の者の提灯二つが、さながら二人の女の人魂《ひとだま》のように小さくぼんやりと迷って行った。僕もなんだか薄ら寂しい心持になって、その灯の影をいつまでも見つめていると、うしろから不意に肩をたたく人があった。
「まずこれでこの事件も解決しましたね。」
 それは、かの通信員であった。
「どういうことに解決したんです。」
「あなたのお座敷へ行ってゆっくり話しましょう。」
 彼は先きに立って内へはいった。僕もつづいて二階にあがると、かれは懐中から一冊のノート・ブックを取り出して自分の膝の前において、それからおもむろに話し出した。
「わたしの鑑定は半分あたって半分はずれましたよ。二人の女学生の死んだ原因はやはり沢桔梗でした。亀井兼子が遠山と関係のあったのも事実でした。それだけはみな当たったのですが、肝腎の犯人は生き残った服部近子でなく、兼子と一緒に死んだ藤田みね子であったのです。それが実に意外でした。彼女がなぜ自分の親友を毒殺したかというと、やはりかの遠山という学生のためだということが判ったのです。」
「では、みね子も遠山に関係があったんですか。」
「なにぶんにも死人に口なしで、二人の関係がどの程度まで進んでいたかということははっきり判りませんが、とにかくみね子が遠山に恋していたのは事実です。ところが、兼子も遠山に恋していて、両者の関係がだんだん濃厚になって来るので、表面は姉妹同様に睦まじくしていても、みね子はひそかに兼子を呪っていたらしい。それでもまさかに彼女を殺そうとも思っていなかったでしょうが、あいにくにこの旅行さきで遠山に偶然出逢ったのが間違いのもとで、兼子はなんにも知らないから、遠山にここで出逢ったのを喜んで、みね子の見ている前でも随分遠慮なしにふざけたらしい。そこでみね子はかっとなって急におそろしい料簡――それも恐らく沢桔梗を毒草と知った一刹那――むらむらとそんな料簡が起こったのでしょう。ゆう飯の食い物のなかにその毒草の汁をしぼり込んで、兼子を殺そうと企てたのです。」
「そうして、自分も一緒に死ぬつもりだったんですかしら。」と、僕は少し首をかしげた。
「そこが問題です。警察の方でもいろいろ取り調べた結果、これだけの事情は判明したのです。その晩、宿の女中が三人の膳を運んでくると、みね子はわざわざ座敷の入口まで立って来て、女中の手からその膳をうけ取って、めいめいの前へ順々に列べたそうです。その間になにか手妻をつかって、彼女はその毒をそそぎ入れたものと想像されるのです。給仕に出た女中の話によると、三人が膳の前に坐っていざ食いはじめるという時に、みね子はついと起って便所へ行ったそうです。それから帰って来て、再び自分の膳の前に坐った時に、あたかもその隣りにいた近子が平の椀に箸をつけようとすると、みね子はその椀のなかを覗いて見て、あなたのお椀のなかにはなんだか虫のようなものがいるから、わたしのと取り換えてあげましょうといって、その椀と自分の椀とを膳の上におきかえてしまったという。それらの事情から考えると、恋がたきの兼子ひとりを殺しては人の疑いをひくおそれがあるので、罪もない近子までも一緒にほろぼして、なにかの中毒と思わせる計画であったらしい。女はおそろしいものですよ。」
「そうですね。」
 僕は思わず戦慄した。
「それでも良心の呵責があるので、彼女は膳にむかうと、また起った。そこに二様の判断がつくのです。」と、かれは更に説明した。「彼女が座敷へ戻るまでの間に、果たしてどう考えたかが問題です。急におそろしくなって止めようとしたか、それともあくまでも決行しようと考えていたか、そこはよく判らない。一旦は中止しようと思ったが、兼子がもうその椀に箸をつけてしまったのを見て、今さら仕様がないと決心して、自分も一緒に死ぬ覚悟で近子の椀を取ったのか。あるいは兼子を殺すのは最初からの目的であるが、罪もない
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