年に五、六回か三、四回しか開場しないのに、春木座だけは毎月必ず開場したので、わたしは四年間に随分数多くの芝居を見物することが出来た。
三崎町三丁目は明治二十二、三年頃からだんだんに開けて来たが、それでもかの小僧殺しのような事件は絶えなかった。二十四年六月には三崎座が出来た。殊に二十五年一月の神田の大火以来、俄《にわか》にここらが繁昌して、またたくうちに立派な町になってしまったのである。その当時はむかしの草原を知っている人もあったろうが、それから三十幾年を経過した今日では、現在その土地に住んでいる人たちでも、昔の草原の茫漠たる光景をよく知っている者は少いかも知れない。武蔵野の原に大江戸の町が開かれたことを思えば、このくらいの変遷は何でもないことかも知れないが、目前にその変遷をよく知っているわたしたちに取っては、一種の感慨がないでもない。殊にわたしなどは、かの春木座通いの思い出があるので、その感慨が一層深い。あの当時、ここらがこんなに開けていたらば、わたしはどんなに楽であったか。まして電車などがあったらば、どんなに助かったか。
暗い原中をたどってゆく少年の姿――それが幻のようにわたしの
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