春木座へゆくためであった。
春木座は今日の本郷座である。十八年の五月から大阪の鳥熊という男が、大阪から中通りの腕達者な俳優一座を連れて来て、値安興行をはじめた。土間は全部開放して大入場として、入場料は六銭というのである。しかも半札をくれるので、来月はその半札に三銭を添えて出せばいいのであるから、要するに金九銭を以て二度の芝居が観られるというわけである。ともかくも春木座はいわゆる檜舞台の大劇場であるのに、それが二回九銭で見物できるというのであるから、確《たしか》に廉《やす》いに相違ない。それが大評判となって、毎月爪も立たないような大入りを占めた。
芝居狂の一少年がそれを見逃すはずがない。わたしは月初めの日曜ごとに春木座へ通うことを怠らなかったのである。ただ、困ることは開場が午前七時というのである。なにしろ非常の大入りである上に、日曜日などは殊《こと》に混雑するので、午前四時か遅くも五時頃までには劇場の前にゆき着いて、その開場を待っていなければならない。麹町《こうじまち》の元園町《もとぞのちょう》から徒歩で本郷まで行くのであるから、午前三時頃から家を出てゆく覚悟でなければならない。わたしは午前二時頃に起きて、ゆうべの残りの冷飯を食って、腰弁当をたずさえて、小倉の袴の股立《ももだち》を取って、朴歯《ほおば》の下駄をはいて、本郷までゆく途中、どうしてもかの三崎町の原を通り抜けなければならない事になる。勿論、須田町の方から廻ってゆく道がないでもないが、それでは非常の迂回であるから、どうしても九段下から三崎町の原を横ぎって水道橋へ出ることになる。
その原は前にいう通りの次第であるから、午前四時五時の頃に人通りなどのあろうはずはない。そこは真暗な草原で、野犬の巣窟、追い剥ぎの稼ぎ場である。闇の奥で犬の声がきこえる、狐の声もきこえる。雨のふる時には容赦なく吹っかける、冬のあけ方には霜を吹く風が氷のように冷たい。その原をようように行き抜けて水道橋へ出ても、お茶の水の堤際はやはり真暗で人通りはない。いくらの小使い銭を持っているでもないから、追いはぎはさのみに恐れなかったが、犬に吠え付かれるには困った。あるときには五、六匹の大きい犬に取りまかれて、実に弱り切ったことがあった。そういう難儀も廉価の芝居見物には代えられないので、わたしは約四年間を根よく通いつづけた。その頃の大劇場は、一
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