た。
 藤崎さんも逆らわずに、一旦はおとなしく黙ってしまったのですが、少し経つと又夢中になって「まずいな、まずいな。」と口のうちで繰返す。そのうちに幕がしまると、その亭主は藤崎さんの方へ向き直って、切口上で訊きました。
「あなたは先程から頻りに山崎屋をまずいの、下手だの、大根だのと仰しゃっておいでゝございましたが、どう云うところがお気に召さないのでございましょうか。」
 前にも申す通り、その当時の贔屓というものは今日とはまた息込みが違っていて、たといその俳優《やくしゃ》に一面識が無くとも、自分が蔭ながら贔屓している以上、それを悪く云う奴等は自分のかたきも同様に心得ている時節ですから、この男も眼の色をかえて藤崎さんを詰問したわけです。こういう相手は好《い》い加減にあしらって置けばいゝのですが、藤崎さんも年がわかい、おまけに芝居気ちがいと来ている。まだその上に、町人のくせに武士に向って食ってかゝるとは怪しからん奴だという肚もある。かた/″\我慢が出来なかったとみえて、これも向き直って答弁をはじめました。むかしの芝居は幕間《まくあい》が長いから、こんな討論会にはおあつらえ向きです。
 権十郎の芸がまずいか、拙くないか、いつまで云い合っていたところで、所詮は水かけ論に過ぎないのですが、両方が意地になって云い募りました。ばか/\しいと云ってしまえばそれ迄ですが、この場合、両方ともに一生懸命です。相手の連の男も加勢に出て、藤崎さんを云い籠めようとする。おかみさんや妹娘までが泣声を出して食ってかゝる。近所となりの土間にいる人達もびっくりして眺めている。なにしろ敵は大勢ですから、藤崎さんもなか/\の苦戦になりました。
 ほかの二人づれの職人はさっきから黙って聴いていましたが、両方の議論がいつまでも果しがないので、その一人が横合から口を出しました。
「もし、皆さん。もう好い加減にしたらどうです。いつまで云い会った[#「云い会った」はママ]ところで、どうで決着は付きやあしませんや。第一、御近所の方達も御迷惑でしょうから。」
 藤崎さんは返事もしませんでしたが、一方の相手はさすがに町人だけに、のぼせ切っているなかでも慌てゝ挨拶しました。
「いや、どうも相済みません。まったく御近所迷惑で、申訳もございません。お聴きの通りのわけで、このお方があんまり判らないことを仰しゃるもんですから……。」
「うっちゃってお置きなせえ。おまえさんが相手になるからいけねえ。」と、もう一人の職人が云いました。「山崎屋がほんとうに下手か上手か、ぼんくらに判るものか。」
「そうさな。」と、前の一人が又云いました。「あんまりからかっていると、仕舞には舞台へ飛びあがって、太平次にでも咬《くら》いつくかも知れねえ。あぶねえ、あぶねえ。もうおよしなせえ。」
 職人ふたりは藤崎さんを横目に視ながらせゝら笑いました。

       二

 この職人たちも権十郎贔屓とみえます。さっきから黙って聴いていたのですが、藤崎さんが飽までも強情を張って、意地にかゝって権十郎をわるく云うので、ふたりももう我慢が出来なくなって、四人連の方の助太刀に出て来たらしい。口では仲裁するように云っているが、その実は藤崎さんの方へ突っかかっている。殊に舞台へ飛びあがって太平次にくらい付くなどというのは、例の肥後の侍の一件をあて付けたもので、藤崎さんを武家とみての悪口でしょう。それを聞いて、藤崎さんもむっとしました。
 いくら相手が町人や職人でも、一桝のうちで六人がみな敵では藤崎さんも困ります。町人たちの方では味方が殖えたので、いよ/\威勢がよくなりました。
「まったくでございますね。」と、亭主の男もせゝら笑いました。「なにしろ芝居とお能とは違いますからね。一年に一度ぐらい御覧になったんじゃあ、ほんとうの芸は判りませんよ。」
「判らなければ判らないで、おとなしく見物していらっしゃれば好《い》いんだけれど……。」と、若いおかみさんも厭《いや》に笑いました。「これでもわたし達は肩揚のおりないうちから、替り目ごとに欠さずに見物しているんですからね。」
 かわる/″\に藤崎さんを嘲弄するようなことを云って、しまいには何がなしに声をあげてどっと笑いました。藤崎さんはいよ/\癪に障った。もうこの上はこんな奴等と問答無益、片っ端から花道へひきずり出して、柔術の腕前をみせてやろうかとも思ったのですが、どうしても、そんなことは出来ない。侍が芝居見物にくる、単にそれだけならば兎もかくも黙許されていますが、こゝで何かの事件をひき起したら大変、どんなお咎めを蒙るかも知れない。自分の家にも疵が付かないとは限らない。いくら残念でも場所が悪い。藤崎さんは胸をさすって堪えているより外はありません。そこへ好い塩梅に茶屋の若い衆が来てくれました。
 若い衆もさっきから此のいきさつ[#「いきさつ」に傍点]を知っているので、いつまでも咬み合わして置いて何かの間違いが出来てはならないと思ったのでしょう。藤崎さんを宥めるように連れ出して、別の土間へ引越させることにしました。ほかの割込みのお客と入れかえたのです。藤崎さんもこんなところにいるのは面白くないので、素直に承知して引越しましたが、今度の場所は今までよりも三四間あとのところで、喧嘩相手のふた組は眼のまえに見えます。その六人が時々にこちらを振返って、なにか話しながら笑っている。屹度おれの悪口を云っているに相違ないと思うと、藤崎さんはます/\不愉快を感じたのですが、根が芝居好きですから中途から帰るのも残り惜しいので、まあ我慢して二番目の猿まわしまで見物してしまったのです。
 芝居を出たのは彼是《かれこ》れ五つ(午後八時)過ぎで、贅沢な人は茶屋で夜食を食って帰るものもありますが、大抵は浅草の広小路辺まで出て来て、そこらで何か食って帰ることになっている。御承知の奴《やっこ》うなぎ、あすこの鰻めしが六百文、大どんぶりでなか/\立派でしたから、芝居がえりの人達はあすこに寄って行くのが多い。藤崎さんもその奴うなぎの二階で大どんぶりを抱え込んでいると、少しおくれて這入って来たのが喧嘩相手の四人で、職人は連でないから途中で別れたのでしょう。町人夫婦と妹娘と、もう一人の男とが繋がって来たのです。二階は芝居帰りの客がこみ合っているので、どちらの席も余程距れていましたが、藤崎さんの方ではすぐに気がつきました。
 きょうの芝居は合邦ヶ辻と亀山と、かたき討の狂言を二膳込みで見せられたせいか、藤崎さんの頭にも「かたき討」という考えが余ほど強くしみ込んでいたらしく、こゝで彼の四人連に再び出逢ったのは、自分の尋ねる仇にめぐり逢ったようにも思われたのです。たんとも飲まないが、藤崎さんの膳のまえには徳利が二本ならんでいる。顔もぽうと紅くなっていました。
 そのうちに、彼の四人連もこっちを見つけたとみえて、のび上って覗きながら又なにか囁きはじめたようです。そうして、時々に笑い声もきこえます。
「怪しからん奴等だ。」と、藤崎さんは鰻を食いながら考えていました。かえり討やら仇討やら、色々の殺伐な舞台面がその眼のさきに浮び出しました。
 早々に飯を食ってしまって、藤崎さんはこゝを出ました。かの四人連が下谷の池の端から来た客だということを芝居茶屋の若い衆から聞いているので、藤崎さんは先廻りをして広徳寺前のあたりにうろ/\していると、この頃の天気癖で細かい雨がぽつ/\降って来ました。今と違って、あの辺は寺町ですから夜はさびしい。藤崎さんはある寺の門の下に這入って、雨宿りでもしているようにたゝずんでいると、時々に提灯をつけた人が通ります。その光をたよりに、来る人の姿を一々あらためていると、やがて三四人の笑い声がきこえました。それが彼の四人づれの声であることをすぐに覚って、藤崎さんは手拭で顔をつゝみました。
 人は四人、提灯は一つ。それがだん/\に近寄ってくるのを二三間やり過して置いて、藤崎さんはうしろから足早に附けて行ったかと思うと、亭主らしい男はうしろ袈裟に斬られて倒れました。わっと云って逃げようとするおかみさんも、つゞいて其場に斬り倒されました。連の男と妹娘は、人殺し人殺しと怒鳴りながら、跣足になって前とうしろへ逃げて行く。どっちを追おうかと少しかんがえているうちに、その騒ぎを聞きつけて、近所の珠数屋が戸をあけて、これも人殺し人殺しと怒鳴り立てる。ほかからも人のかけてくる足音が聞える。藤崎さんも我身があやういと思ったので、これも一目散に逃げてしまいました。
 下谷から本郷、本郷から小石川へ出て、水戸様の屋敷前、そこに松の木のある番所があって、俗に磯馴《そな》れの番所といいます。その番所前も無事に通り越して、もう安心だと思うと、藤崎さんは俄にがっかりしたような心持になりました。だんだんに強くなってくる雨に濡れながら、しずかに歩いているうちに、後悔の念が胸先を衝きあげるように湧いて来ました。
「おれは馬鹿なことをした。」
 当座の口論や一分の意趣で刃傷沙汰に及ぶことはめずらしくない。しかし仮にも武士たるものが、歌舞伎役者の上手下手をあらそって、町人の相手をふたりまでも手にかけるとは、まことに類の少い出来事で、いくら仇討の芝居を見たからと云って、とんだ仇討をしてしまったものです。藤崎さんも今となっては後悔のほかはありません。万一これが露顕しては恥の上塗りであるから、いっそ今のうちに切腹しようかとも思ったのですが、先ず兎もかくも家へ帰って、母にもそのわけを話して暇乞いをした上で、しずかに最期を遂げても遅くはあるまいと思い直して、夜のふけるころに市ヶ谷の屋敷へ帰って来ました。
 奉公人どもを先ず寝かしてしまって、藤崎さんは今夜の一件をそっと話しますと、阿母《おっか》さんも一旦はおどろきましたが、はやまって無暗に死んではならない、組頭によくその事情を申立てゝ、生きるも死ぬもその指図を待つがよかろうと云うことになって、その晩はそのまゝ寝てしまいました。夜があけてから藤崎さんは組頭の屋敷へ行って、一切のことを正直に申立てると、組がしらも顔をしかめて考えていました。
 当人に腹を切らせてしまえばそれ迄のことですが、組頭としては成るべく組下の者を殺したくないのが人情です。殊に事件が事件ですから、そんなことが表向きになると、当人ばかりか組頭の身の上にも何かの飛ばっちりが降りかゝって来ないとも限りません。そこで組頭は藤崎さんに意見して、先ず当分は素知らぬ顔をして成行を窺っていろ。いよ/\詮議が厳重になって、お前のからだに火が付きそうになったらば、おれが内証で教えてやるから、その時に腹を切れ。かならず慌てゝはならないと、くれ/″\も意見して帰しました。
 母の意見、組頭の意見で、藤崎さんも先ず死ぬのを思いとまって、内心びく/\もので幾日を送っていました。斬られたのは下谷の紙屋の若夫婦で、娘はおかみさんの妹、連の男は近所の下駄屋の亭主だったそうです。斬られた夫婦は即死、ほかの二人は運よく逃れたので、町方でもこの二人について色々詮議をしましたが、何分にも暗いのと、不意の出来事に度をうしなっていたのとで、何がなにやら一向わからないと云うのです。それでも芝居の喧嘩の一件が町方の耳に這入って、芝居茶屋の方を一応吟味したのですが、茶屋でも何かのかゝり合を恐れたとみえて、そのお武家は初めてのお客であるから何処の人だか知らないと云い切ってしまったので、まるで手がかりがありません。第一、その侍が果して斬ったのか、それとも此頃流行る辻斬のたぐいか、それすら確かに見きわめは付かないので、紙屋の夫婦はとう/\殺され損と云う事になってしまいました。
 それを聞いて、藤崎さんも安心しました。組頭もほっとしたそうです。それに懲りて、藤崎さんは好きな芝居を一生見ないことに決めまして、組頭や阿母《おっか》さんの前でも固く誓ったと云うことです。それは初めにも申した通り、文久二年の出来事で、それから六年目が慶応四年、すなわち明治元年で、江戸城あけ渡しから上野の彰義隊一件、江戸中は引っくり返るよう
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