るのはめずらしくない。唯それだけでは別に問題にもならないのですが、その侍はまだ十八九で、人品も好い、男振りもすぐれて好い。そうして、彼のお金となんだか仲好く話しているというのですから、これは何うしても見逃されません。朋輩の女もすぐに眼をつける、出入りの客や地廻り連も黙ってはいない。あいつは何うも可怪《おか》しいという噂がたちまちに拡まってしまいました。
「あのお客はどこのお屋敷さんだえ。」と朋輩が岡焼半分に訊いても、お金は平気でいました。
「どこの人だか知るものかね。」
 こう云って澄ましているのですが、どうも一通りの客ではないらしいという鑑定で、お金はあの若い侍と訳があるに相違ないと決められてしまって、「あん畜生、うまく遣っていやあがる。」とか、「あの野郎、なま若え癖に、太《ふて》え奴だ。」とか、地まわり連のうちには随分憤慨しているのもありましたが、なにしろ相手は侍ですから無暗に喧嘩を吹っかけるわけにも行かないので、横眼で睨んで店さきを通りながら何か当てこすりの鼻唄でも歌って行くぐらいのことでした。そのうちにお金が神明から姿を消してしまったので、近所の騒ぎはまた大きくなりました。主人の家でもおどろいて、取りあえず片門前に住んでいるおふくろの所へ聞きあわせに遣ると、おふくろも知らないで、唯おどろいているばかりです。
「お金の奴め、とう/\あの侍と駈落をきめやあがった。」
 近所ではその噂で持切っていました。なにしろ神明で評判者の矢飛白が不意に消えてなくなったのですから、やれ駈落だの心中だのと、それからそれへと尾鰭をつけて色々のことを云いふらす者もあります。とりわけて心配したのは矢場の主人《あるじ》で、呼び物のお金がいなくなっては早速に商売に障るので、心あたりをそれ/″\に詮議しましたが何うも判らない。勿論その若侍もそれぎり姿をみせない。それから考えると、どうしてもその若侍がお金をさそい出したものと思われるのも無理はありません。
 それから一月あまりも過ぎて、三月はじめの暖かい晩のことです。彼の若侍がふらりと遣って来て、神明の境内をひやかして歩いて、お金の矢場の前に立ったのを、地廻り連が見つけたので承知しません。殊にそのなかには二三人のごろつきもまじっていたから、猶たまりません。
「ひとの店の女を連れ出せば拐引《かどわかし》だ。二本指でも何でも容赦が出来るものか。」
 こんなことを云って嗾《けし》かけるから、いよ/\騒ぎは大きくなります。大勢は侍を取り囲んで、お金の店のなかへ引摺り込みました。侍はおとなしい人でしたが、町人の手籠め同様に逢っては、これも黙ってはいません。
「これ、貴様たちは何をするのだ。」
「なにをするものか。さあ、こゝの店の矢がすりを何処へ隠した。正直にいえ。」
「矢飛白をかくした……。それはどういうわけだ。」
「えゝ、白ばっくれるな。正直に云わねえと、侍でも料簡しねえぞ。早く云え、白状しろ。」
「白状しろとは何だ。武士にむかって無礼なことを申すな。」
「なにが無礼だ。かどわかし野郎め。ぐず/\していると袋叩きにして自身番へ引渡すぞ。」
 相手が若いので、幾らか馬鹿にする気味もある。その上に大勢をたのんで頻りにわや/\騒ぎ立てるので、若い侍はだん/\に顔の色をかえました。店のおかみさんも見かねたように出て来ました。
「まあ。どなたもお静かにねがいます。店のさきで騒がれては手前共が迷惑いたします。」
 口ではこんなことを云っていますが、その実は自分がごろつき共を頼んでこの若侍をひき摺り込ませたのですから、騒ぎの鎮まる筈はありません。大勢は若侍を取り囲んで、矢飛白のありかを云え、お金のゆくえを白状しろと責めるのです。そのうちに弥次馬がだん/\にあつまって来て、こゝの店さきは黒山のような人立になりました。
「あいつが矢飛白をかどわかしたのだそうだ。見かけによらねえ侍じゃあねえか。」
「おとなしそうな面をしていて、呆れたものだ。」
 色々の噂が耳に這入るから、侍ももう堪らなくなりました。身分が身分、場所が場所ですから、初めはじっと我慢していたのですが、なにを云うにも年が若いから、斯うなると幾らか逆上《のぼせ》ても来ます。侍は眼を据えて、自分のまわりを取りまいている奴等を睨みつけました。
「場所柄と存じて堪忍していれば、重々無礼な奴。もう貴様たちと論は無益だ。道をひらいて通せ、通せ。」
 持っている扇で眼さきの二三人を押退けて、そのまゝ店口から出て行こうとすると、押退けられた一人がその扇をつかみました。侍はふり払おうとする。そのうちに誰かうしろから侍の袖をつかむ奴があるから、侍は又それを振払おうとする。そのなかに悪い奴があって、侍の刀を鞘ぐるみに抜き取ろうとする。侍もいよ/\堪忍の緒を切って、持っている扇をその一人にたゝ
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