と、そこにも何かの関係があるのか無いのか、それもわかりません。櫛と、蝮と、置いてけ堀と、とんだ三題話のようですが、そこに何にも纏まりのついていないところが却って本筋の怪談かも知れませんよ。それでも阿部さんが早く気がついて、なんだか自分の気が可怪《おか》しいようだと思って、前以て弟に取押方をたのんで置いたのは大出来でした。左もなかったら、むやみ矢鱈に刀でも振りまわして、どんな大騒ぎを仕出来《しでか》したかも知れないところでした。阿部さんはそれに懲りたとみえて、その後は内職の釣師を廃業したということです。」
なるほど老人の云った通り、この長い話を終るあいだに、躑躅見物の女連は帰って来なかった。
[#改段]
落城の譜
一
「置いてけ堀」の話が一席すんでも、女たちはまだ帰らない。その帰らない間にわたしは引揚げようと思ったのであるが、老人はなか/\帰さない。色々の話がそれからそれへはずんで行った。
「いや、あなたが昨日おいでになると、丁度こゝに面白い人物が来ていたのですがね。その人は森垣幸右衛門と云って――明治以後はその名乗りを取って、森垣|道信《みちのぶ》というむずかしい名に換えてしまいましたが――わたくしの久しいお馴染なんです。維新後は一時横浜へ行っていたのですが、その時にかんがえ付いたのでしょう。東京へ帰って来てから時計屋をはじめて、それがうまく繁昌して、今では大森の方へ別荘のようなものをこしらえて、まあ楽隠居という体で気楽に暮しています。なに、わたくしと同じようだと仰しゃるか。どうして、どうして、わたくしなどは何うにか斯うにか息をついていると云うだけで、とても森垣さんの足もとへも寄附かれませんよ。その森垣さんが躑躅見物ながら昨日久しぶりで尋ねてくれて、色々のむかし話をしました。その人にはこういう変った履歴があるのです。まあ、お聴きなさい。」
わたくしはもうその年月を忘れてしまったのですが、きのう森垣さんに云われて、はっきりと思い出しました。それは文久元年の夏のことで、その頃わたくしは何うも毎晩よく眠られない癖が付きましてね、まあ今日《こんにち》ならば神経衰弱とでも云うのでしょうか、なんだか頭が重っ苦しくって気が鬱《ふさ》いで、なにをする元気もないので、気晴しのために近所の小さい講釈場へ毎日通ったことがありました。今も昔もおなじことで、講釈場の
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