が以前奉公していた芝口の酒屋は、土台がしっかりしていたと見えて、今度の地震にも家根瓦をすこし震い落されたゞけでびく[#「びく」に傍点]ともせず、運よく火事にも焼け残ったので、久松はいよ/\あきらめ兼ねました。姉も今までの主人に奉公していれば無事であったものを、吉原へ行ったればこそ非業の死を遂げたのである。姉はなんのために吉原へ売られて行ったのか。高価の人参は母の病を救い得ないばかりか、却って姉の命をも奪う毒薬になったのかと思うと、久松は日本朝鮮にあらんかぎりの人参を残らず焼いてゞもしまいたい程に腹が立ちました。その人参を売りつけた医者坊主がます/\憎い奴のように思われて来ました。
 糸屋の店では一旦小梅の親類の家《うち》へ立退いたので、久松も一緒に附いて行きました。場所柄だけに、店の方はすぐに仮普請に取りかゝって、十二月には兎もかくも商売をはじめるようになったので、主人や店の者は日本橋へ戻りましたが、焼跡の仮小屋同様のところでは女子供がこの冬を過されまいというので、主人の女房や娘子供は矢はり小梅の方に残っていることになりました。それがために小僧もひとり残されることになったので、久松がその役にあたって、あくる年の正月を小梅で迎えました。そのうちに三月の花が咲いて、陽気もだん/\にあたゝかくなり、世間の景気も春めいて来たので、主人の家族もみんなこゝを引払うことになって、久松もはじめて日本橋の店へ戻ってくると、土地が近いだけに憎い怨めしい医者坊主めのことが一層強く思い出されます。勿論、小梅にいるあいだも毎日忘れたことはなかったのですが、近間へ戻ってくると又一倍にその執念が強くなって来ました。
 三月末の陰《くも》った日に、久松が店の使で表へ出ると、途中で丁度、桂斎先生に逢いました。はっと思いながらも、よんどころなしに会釈をすると、先生の方では気が注かなかったのか、それともそんな小僧の顔はもう見忘れてしまったのか、素知らぬ風でゆき過ぎたので、久松は赫《かっ》となりました。使をすませて主人の店へ一旦帰って、奥にいる女房のまえに出て、去年からあずけてある金のうちで一両だけを渡して貰いたいと云いました。なんにするのだと聞くと、おふくろの一周忌がもう近づいたから、お長屋の人にたのんで石塔をこしらえて貰うのだという返事です。久松の孝行は女房もかねて知っているので、それは奇特のことだと
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