の病気は矢はりよくならない。久松も心配して、色々に医者にせがむので、先生はまた十両をうけ取って人参を調剤したのですが、それも験《げん》がみえない。おふくろはいよ/\悪くなるばかりで、それから半月ほどの後にとう/\此世の別れになってしまったので、久松は泣いても泣き尽せない位で、とりあえず吉原の姉のところへ知らせてやりましたが、まだ初店《はつみせ》ですから出てくることは出来ません。長屋の人たちの手をかりて、久松は兎もかくもおふくろの葬式をすませました。
 こうなると、おつねの身売は無駄なことになったようなわけで、これから十年の長いあいだ苦界《くがい》の勤めをしなければならないのですから、姉思いの久松は身を切られるように情《なさけ》なく思いました。それから惹いて、医者を怨むような気にもなりました。
「人参をのませれば屹《きっ》と癒ると請合って置きながら、あの医者はおふくろを殺した。それがために姉さんまでが吉原へ行くようになった。あの医者の嘘つき坊主め。あいつはおふくろの仇だ。姉さんのかたきだ。」
 今日《こんにち》はそんなこともありませんが、病人が死ぬとその医者を怨むのが昔の人情で、川柳にも「見す/\の親のかたきに五|分礼《ふんれい》」などというのがあります。まして斯ういう事情が色々にからんでいるので、年の行かない久松は一層その医者を怨むようにもなり、自然それを口に出すようにもなったので、糸屋の主人は久松に同情もし、また意見もしました。
「人間には寿命というものがある。人参を飲んで屹《きっ》と癒るものならば、高貴のお方は百年も長命する筈だが、そうはならない。公方《くぼう》様でもお大名でも、定命《じょうみょう》が尽きれば仕方がない。金の力でも買われないのが人の命だ。人参まで飲ませても癒らない以上は、もうあきらめるの外はない。むやみに医者を怨むようなことを云ってはならない。」
 理窟はその通りですが、どうも久松には思い切りが付きませんでした。姉の身売の金がまだ幾らか残っているのを主人にあずけて、自分は相変らず奉公していましたが、おふくろは此世に無し、姉には逢われず、まったく頼りのないような身の上になってしまったので、久松はもう働く張合もぬけて、ひどく元気のない人間になりました。毎月おふくろの墓まいりに行って、泣いて帰るのがせめてもの慰めで、いっそ死んでしまおうかなどと考えたこ
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