動様の四つの鐘のきこえるのを相図に、わたくしは竊《そっ》とお庭に出て、木戸の口に立番をしていますと、旧暦の九月ももう末ですから、夜はなか/\冷えて来て、広いお庭の闇のなかで竹藪が時々にがさ[#「がさ」に傍点]/\と鳴る音が寒そうにきこえます。お屋敷の屋根の上まで低く掩いかゝった暗い大空に、五位鷺の鳴いて通るのが物すごく聞えます。これがふだんならば、臆病なわたくしには迚《とて》も辛抱は出来そうもないのでございますが、今夜はいつもと違って気が一ぱいに張りつめています。幽霊の冷たい手で一度ぐらい顔を撫でられても驚くのではありません。わたくしは息をつめて、その人の来るのを今か今かと待設けていました。
 振返ってみますと、奥様の御居間の方には行燈の灯がすこし黄く光っていました。その行燈の下で奥様はなにか草雙紙でも御覧になっている筈ですが、どんなお心持でその草雙紙を読んでいらっしゃるか、わたくしにも大抵思いやりが出来ます。それにつけても、照之助が早く来てくれゝば可《い》いと、わたくしも顔を長くして耳を引立てゝいますと、どこやらで犬の吠える声が時々にきこえますが、人の跫音らしいものは聞えません。勿論、日が暮れてからは滅多に往来のある所ではございませんから。
 そのうちに、低い跫音――ほんとうに遠い世界の響きを聞くような、低い草履の音が微かに聞えました。わたくしははっ[#「はっ」に傍点]と思うと、からだが急に赫《かっ》と熱《ほて》ってまいりました。些《ちっ》とも油断しないで耳を立てゝいますと、案の通りその跫音は木戸の外へひた/\と寄って来ましたので、さっきから待兼ねていたわたくしは、すぐに木戸をあけて暗いなかを透して視ますと、そこには人が立っているようでございました。
「照之助さんでございますか。」
 わたくしは低い声で訊きました。
「左様でございます。」
 外でも声を忍ばせて云いました。
「どうぞこちらへ。」
 照之助は黙って竊《そっ》と這入って来ましたので、わたくしは探りながらその手を把《と》って、お居間の方へ案内してまいりました。照之助もなんだか顫えているようでしたが、わたくしは全く顫えまして、胸の動悸がおそろしいほどに高くなってまいりました。五位鷺がまた鳴いて通りました。

 奥様はわたくしに琴を弾けと仰しゃいました。それは十兵衛の女房や、ほかの女中二人に油断させる為でござ
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