い弟子どもを師匠が折檻するのはめずらしくはない、町の師匠でも弓の折れや竹切れで引っぱたくのは幾らもあります。かみなり師匠のあだ名を取っているような怖い先生になると、自分の机のそばに薪ざっぽうを置いているのさえある。まして、武家の師匠がたんぽ[#「たんぽ」に傍点]槍でお見舞い申すぐらいのことは、その当時としては別に問題にはなりません。大塚もそれを兎やこう云うのではないが、なぜ町家の子供をかばって、武家の子どもばかりを折檻したかと詰問したいのです。どこの親もわが子は可愛い。現に自分のせがれは病人になるほどの酷《ひど》い目に逢っているのに、相手の方はみな無事に帰されたという。それはいかにも片手落ちの捌きではないかという不満が胸一ぱいに漲っているのです。もう一つには、なんと云っても相手は町人の子どもである。町人の子どもと武士の子どもが喧嘩をした場合に、武家の師匠が町人の贔屓をして、武士の子供を手ひどく折檻するのは其意を得ないという肚もあります。かた/″\して大塚は早朝からその掛合いに来たのでした。
 相手に云うだけのことは云わせて置いて、それから市川さんはその当時の事情をよく説明して聞かせました。自分は師匠として、決してどちらの贔屓をするのでもないが、この喧嘩は今井健次郎がわるい。他人の強飯のなかに自分の箸を突っ込むなどは、あまりに行儀の悪いことである。子供同士であるから喧嘩は已むを得ないとしても、稽古場でむやみに木刀をぬくなどはいよ/\悪い。お手前はなんと心得てわが子に木刀をさゝせて置くか知らぬが、子供であるから木刀をさしているので、大人の真剣もおなじことである。わたしの稽古場では木刀をぬくことは固く戒めてある。それを知りつゝ妄りに木刀をふりまわした以上、その罪は武家の子供等にあるから、わたしは彼等に折檻を加えたので、決して町人の子どもの贔屓をしたのではない。その辺は思い違いのないようにして貰いたいと云いました。
「御趣意よく相判りました。」と、大塚は一応はかしらを下げました。「町人の子どもは仕合せ、なんにも身に着けて居りませぬのでなあ。」
 かれは忌《いや》な笑いをみせました。大塚に云わせると、所詮は子ども同士の喧嘩で、武家の子どもは木刀をさしていたから抜いたのである。町家の子供はなんにも持っていないから空手で闘ったのである。町家の子供とても何かの武器を持っていれば、や
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