お近さんはおとなしくこの屋敷をさがるより外はないので、自分の荷物を取りまとめて新屋敷の親許へ帰りました。その葛籠《つゞら》の底には彼の「春色梅ごよみ」の写本が忍んでいました。

       三

 お父《とっ》さんの高松さんは物堅い人物ですから、娘が突然に長の暇を申渡されたに就てすこしく不審をいだきまして、一応はお近さんを詮議しました。
「どうも腑に落ちないところがある、奉公中に何かの越度《おちど》でもあったのではないか。」
「そんなことは決してござりません。」と、お近さんは堅く云い切りました。「時節柄、お人減しと申すことで、それは奥様からもよくお話がござりました。」
 まったくこの時節柄であるから、諸屋敷で人減しをすることも無いとは云えない。殊に三島の屋敷のことであるから、武具馬具を調えるために他の物入りを倹約する、その結果が人減しとなる。そんなことも有りそうに思われるので、高松さんも娘の詮議は先ずそのくらいにして置きました。阿母《おっか》さんも正直な人ですから、別にわが子を疑うようなこともなく、それで無事に済んでしまったのですが、それから三月四月と過ぎるうちに、お父さんの気に入らないようなことが色々出来たのです。
 高松さんの屋敷では槍を教えるので、毎日十四五人の弟子が通ってくる。そのなかで肩あげのある子供達が来たときには、お近さんはその稽古場を覗いても見ませんが、十八九から二十歳ぐらいの若い者が来ると、お近さんは出て行って何かの世話を焼く。時には冗談などを云うこともあるので、お父さんは苦い顔をして叱りました。
「稽古場へ女などが出てくるには及ばない。」
 それでも矢はり出て来たり、覗きに来たりするので、その都度に高松さんは機嫌を悪くしました。ある時、久振りで薙刀を使わせてみると、まるで手のうちは乱れている。もと/\薙刀を云い立てに奉公に出たくらいで、その後も幾年のあいだ、お嬢さまに附いて稽古を励んでいたというのに、これは又どうしたものだと高松さんも呆れてしまいました。そればかりでなく万事が浮ついて、昔とはまるで別の人間のようにみえるので、お父さんはいよ/\機嫌を悪くしました。
「どうも飛んだことをした。こうと知ったら奉公などに出すのではなかった。」
 高松さんは時々に顔をしかめて、御新造に話すこともありました。そのうちに六月の末になる。旧暦の六月末ですから、
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