、さぞ御退屈でいらせられましょう。」
 みんなも退屈し切っているところなので、このお仙を相手にして色々の話をしているうちに、なにかの切っかけからお仙はそのころ流行の草双紙の話をはじめました。それは例の種員《たねかず》の「しらぬひ譚《ものがたり》」で、どの人も生れてから殆ど一度も草双紙などを手に取ったこともない人達なので、その面白さに我を忘れて、皆うっとりと聴き惚れていました。
 お嬢様もその草双紙の話がひどく御意に入ったとみえて、日が暮れてからも又その噂が出ました。
「仙をよんで、さっきの話のつゞきを聴いてはどうであろう。」
 誰も故障をいう者はなくて、お仙はお嬢さまの前によび出されました。そうして、五つ(午後八時)の時計の鳴る頃まで、青柳春之助や鳥山秋作の話をしたのですが、それが病み付きになってしまって、それからはお仙が毎日「しらぬひ譚」のお話をする役目をうけたまわることになりました。お仙がどうしてこんな草双紙を読んでいたかというと、この女は三島家の知行所から出て来た者ではなくて、下谷の方から――実はわたくしの家の近所のもので、この話もその女から聞いたのです。――奉公にあがっている者ですから、家にいたときに草双紙も読んでいる。芝居もとき/″\には覗いている。そういうわけですから、例の「しらぬひ譚」も知っていて、測らずもそれがお役に立ったのです。
 一体お仙はどんな風にその話をしたのか知りませんが、なにしろ聴く人たちの方は薙刀や竹刀のほかには今までなんにも知らなかった連中ばかりですから、初めて聴かされた草双紙の話が馬鹿に面白い。みんなは口をあいて聴いているという始末。しかしお仙も「しらぬひ譚」を暗記しているわけでもないのですから、話に曖昧なところも出て来る。聴いている方では焦《じれ》ったくなる。それが高じて、とう/\その「しらぬひ譚」の草双紙を借りて読もうということになって、お仙がそのお使を云い付かって、牛込辺のある貸本屋を入れることになりました。
 どこの大名でも旗本でも下屋敷の方は取締りがずっ[#「ずっ」に傍点]と緩《ゆる》やかで、下屋敷ではまあ何をしてもいゝと云うことになっていました。殊にそれがお嬢さまの気保養にもなると云うので、下屋敷をあずかっている侍達もその貸本屋の出入りを大目に見ていたらしいのです。くどくも云う通り、お嬢様をはじめ、お附の女たち一同は生れ
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