地の初秋は侘《わび》しきもの也。午後四時ごろに再びお冬さんを訪ねんとて、二階の階子《はしご》を降りて行くと、たった今お冬さんがこの手紙をほうり込んで行ったとて、女中が半紙を細かく畳んだのを渡してくれる。急いで明けてみると、――もうあなたにはお目にかかりません――。

 森君の日記には、その後お冬さんについては何も書いていない。いや、書いたらしいが、みな抹殺してあるのでちっとも解らない。しかしお冬さんも六兵衛老人も決して無事ではなかったことは、、九月二日の記事を見ても知られた。

 九月二日。きょうは二百十日の由にて朝より暴《あ》れ模様なり。もう思い切って宿を発つことにする。発つ前に○○寺に参詣して、親子の新しい墓を拝む。時どきに大粒の雨がふり出して、強い風は卒塔婆《そとば》を吹き飛ばしそうにゆする。その風の絶え間にこおろぎの声きれぎれにきこゆ。――午前十時何分の上りの汽車に乗る――。

 森君が今日《こんにち》まで独身である理由もこれで大抵想像された。森君を乗せた汽車は今ごろ宇都宮に着いたかも知れない。森君の胸には旧《ふる》い疵が痛み出したかも知れない。わたしは日記の上から陰った眼をそむけた。
 今夜の雨はまだやまない。



底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「慈悲心鳥」国文堂
   1920(大正9)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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