恨みの蠑螺
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)相州《そうしゅう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)京橋|木挽町《こびきちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あっ[#「あっ」に傍点]といって
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一
文政四年の四月は相州《そうしゅう》江の島弁財天の開帳《かいちょう》で、島は勿論、藤沢から片瀬にかよう路々もおびただしい繁昌を見せていた。
その藤沢の宿《しゅく》の南側、ここから街道を切れて、石亀川の渡しを越えて片瀬へ出るのが、その当時の江の島参詣の路順であるので、その途中には開帳を当て込みの休み茶屋が幾軒も店をならべていた。もとより臨時の掛茶屋であるから、葭簀《よしず》がこいの粗末な店ばかりで、ほんの一時の足休めに過ぎないのであるが、若い女たちが白い手拭を姐《あね》さんかぶりにして、さざえを店先で焼いている姿は、いかにもここらの開帳にふさわしいような風情を写し出していた。その一軒の茶屋の前に二挺の駕籠をおろして、上下三人の客が休んでいた。
三人はみな江戸者で、江の島参詣とひと目に知れるような旅拵えをしていた。ここで判り易いように彼らの人別《にんべつ》帳をしるせば、主人の男は京橋|木挽町《こびきちょう》五丁目の小泉という菓子屋の当主で、名は四郎兵衛、二十六歳。女はその母のお杉、四十四歳。供の男は店の奉公人の義助、二十三歳である。この一行は四月二十三日の朝に江戸を発って、その夜は神奈川で一泊、あくる二十四日は程ヶ谷、戸越を越して、四つ(午前十時)を過ぎる頃にこの藤沢へ行き着いて、この掛茶屋にひと休みしているのであった。
「なんだか空合いがおかしくなって来たな。」と、四郎兵衛は空を仰ぎながら言った。
「そうねえ。」と、お杉も覚束なそうに空をみあげた。「渡しへかかったころに降り出されると困るねえ。」
「このごろの天気癖で、時どきに曇りますが、降るほどの事もございますまい。」と、茶屋の女房は言った。
「きのう江戸を出るときはいい天気で、道中はもう暑かろうなどと言っていたのだが、けさは曇って薄ら寒い。」と、義助は草鞋の緒をむすび直しながら言った。
こんな問答をぬすみ聞くように、さっきからこの店を覗いている一人の女があった。女は隣りの休み茶屋の前に立って、往来の客を呼ん
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