字友は弥三郎より二つ三つ年上の廿五六で、女のくせに大酒飲みという評判の女、それを聞いて笑い出した。
「そんなにうまければ食べてもいいけれど、折角みんなが捕ったものを、唯貰いはお気の毒だから……。」
 文字友は人々にむかって、この鯉を一朱で売ってくれと掛合った。一朱は廉いと思ったが、実はその処分に困っているところであるのと、一方の相手が旗本の息子であるのとで、みんなも結局承知して、三尺八寸余の鯉を一朱の銀《かね》に代えることになった。文字友は家から一朱を持って来て、みんなの見ている前で支払った。
 さあ、こうなれば煮て食おうと、焼いて食おうと、こっちの勝手だという事になったが、これほどの大鯉に跳ねまわられては、とても抱えて行くことは出来ないので、弥三郎はその場で殺して行こうとして、腰にさしている脇指を抜いた。
「ああ、もし、お待ちください……。」
 声をかけたのは立派な商人ふうの男で、若い奉公人を連れていた。しかもその声が少し遅かったので、留める途端に弥三郎の刃はもう鯉の首に触れていた。それでも呼ばれて振返った。
「和泉屋か。なぜ留める。」
「それほどの物をむざむざお料理はあまりに殺生《せっしょう》でござります。」
「なに、殺生だ。」
「きょうはわたくしの志す仏の命日でござります。どうぞわたくしに免じて放生会《ほうじょうえ》をなにぶんお願い申します。」
 和泉屋は蔵前の札差《ふださし》で、主人の三右衛門がここへ通りあわせて、鯉の命乞いに出たという次第。桃井の屋敷は和泉屋によほどの前借がある。その主人がこうして頼むのを、弥三郎も無下《むげ》に刎ねつけるわけには行かなかった。そればかりでなく、如才《じょさい》のない三右衛門は小判一枚をそっと弥三郎の袂に入れた。一朱の鯉が忽ち一両に変ったのであるから、弥三郎は内心大よろこびで承知した。
 しかし鯉は最初の一突きで首のあたりを斬られていた。強いさかなであるから、このくらいの傷で落ちるようなこともあるまいと、三右衛門は奉公人に指図してほかへ運ばせた。
 ここまで話して来て、梶田老人は一息ついた。
「その若い奉公人というのは私だ。そのときちょうど二十歳《はたち》であったが、その鯉の大きいにはおどろいた。まったく不忍池の主かも知れないと思ったくらいだ。」

     二

 新堀|端《ばた》に龍宝寺という大きい寺がある。それが和泉屋
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング