ったと思います。」
「鯉の腹に隠れているとは、捕り方もさすがに気がつかなかったんですね。」と、わたしは言った。
「気がつかずに帰った。」と、梶田さんはうなずいた。「そこでまずほっとして、小兵衛と文字友はかの鯉を引っ張り出してみると、弥三郎は鯉の腹のなかで冷たくなっていた。」
「死んだんですか。」
「死んでしまった。金巾の鯉の腹へ窮屈に押込まれて、又その上へ縮緬やら紙やらの鯉をたくさん積まれたので窒息したのかも知れない。しかも弥三郎を呑んだような鯉は、ぎっしりと弥三郎のからだを絞めつけていて、どうしても離れない。結局ずたずたに引破って、どうにかこうにか死骸を取出して、いろいろ介抱してみたが、もう取返しは付かない。それでもまだ未練があるので、文字友は近所の医者を呼んで来たが、やはり手当の仕様はないと見放された。水で死んだ人を魚腹《ぎょふく》に葬られるというが、この弥三郎は玩具屋の店で吹流しの魚腹に葬られたわけで、こんな死に方はまあ珍しい。
龍宝寺のあるところは今日《こんにち》の浅草栄久町で、同町内に同名の寺が二つある。それを区別するために、一方を天台龍宝寺といい、一方を浄土龍宝寺と呼んでいるが、鯉の一件は天台龍宝寺で、この鯉塚は明治以後どうなったか、わたしも知らない。」
若い者と付合っているだけに、梶田さんは弥三郎の最期《さいご》を怪談らしく話さなかったが、聴いている私たちは夜風が身にしみるように覚えた。
[#地から2字上げ]昭和十一年四月作「サンデー毎日」
底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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