の首を見たというのは……。」
「して見ると、となりの連中は混みあうのを嫌って、毎晩夜なかに風呂へ行くんだ。」と、遠泉君は言った。「田宮はゆうべも丁度そこへ行き合わせたんだ。湯のなかに女の首なんぞが浮き出して堪まるものか。」
「田宮を起こして、今夜も嚇かしてやろうじゃないか。」
「よせ、よせ。可哀そうによく寝ているようだ。」
二人は団扇をつかいながら煙草をまた一本吸った。一つ蚊帳のなかに寝ている田宮が急にうなり出した。
「おい、どうした。何を魘《うな》されているんだ。」
言いながら本多は彼の苦しそうな寝顔をのぞくと、田宮は暑いので掻巻《かいま》きを跳ねのけていた。仰向けに寝て行儀悪くはだけている浴衣の胸の上に小さい何物かを発見したときに、本多は思わず声をあげた。
「あ、蟹だ。さっきの蟹が田宮の胸に乗っている。」
これと殆んど同時に、風呂場の方角でけたたましい女の叫び声が起こった。家内が寝鎮まっているだけに、その声があたりにひびき渡って、二人の耳を貫くようにきこえた。
「風呂場のようだね。」
風呂場には隣りの女ふたりがはいっていることを知っているので、一種の不安を感じた遠泉君はすぐ
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