水にぬれて光って、一種の錦のように美しく見えたので、かれらは立ち止まってめずらしそうに眺めた。五色蟹だの、錦蟹だのと勝手な名をつけて、しばらく眺めていた末に、本多はその一匹をつかまえて自分のマッチ箱に入れた。蟹は非常に小さいので大きいマッチの箱におとなしくはいってしまった。
「つかまえてどうするんだ。」と、ほかの二人は訊いた。
「なに、宿へ持って帰って、これはなんという蟹だか訊いて見るんだ。」
 マッチ箱をハンカチーフにつつんで、本多は自分のふところに押し込んで、それから五、六町ばかり散歩して帰った。宿へ帰って、本多はそのマッチ箱をチャブ台の下に置いたままで、やがて女中が運び出して来た夕飯の膳にむかった。そのうちに海の空ももう暮れ切って、涼しい風がそよそよと流れ込んで来た。三人は少しばかり飲んだビールの酔いが出て、みな仰向けに行儀わるくごろごろと寝転んでしまった。汽車の疲れと、ビールの酔いとで、半分は夢のようにうとうとしていると、となりの座敷で俄かにきゃっきゃっと叫ぶ声がするので、三人はうたた寝の夢から驚いて起きた。
 となり座敷には四人連れの若い女が泊まりあわせていた。みな十九か二十歳《はたち》ぐらいで東京の女学生らしいと、こちらの三人も昼間からその噂をしていたのであった。遠泉君の註によると、この宿は土地でも第一流の旅館でない。どこもことごとく満員であるというので、よんどころなしに第二流の宿にはいって、しかも薄暗い下座敷へ押し込まれたのであるが、その代りに隣り座敷には若い女の群れが泊まりあわせている。これで幾らか差引きが付いたと、本多は用もないのに時々縁側に出て、障子をあけ放した隣り座敷を覗いていたこともあった。
 その隣り座敷で俄かに騒ぎ始めたので、三人はそっと縁側へ出て窺うと、湯あがりの若い女達もやはり行儀をくずして何か夢中になってしゃべっていたらしい。その一人の白い脛《はぎ》へ蟹が突然に這いあがったので、みな飛び起きて騒ぎ出したのであった。もしやと思って、こっちのチャブ台の下をあらためると、本多のマッチの箱は空《から》になっていた。彼はその箱をハンカチーフと一緒に押し込んで置いて、ついそのままに忘れていると、蟹は箱の中からどうしてか抜け出して、おそらく縁伝いに隣りへ這い込んだのであろう。そう判ってみると、本多はひどく恐縮して、もう一つにはそれを機会に隣りの女
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