に飛び起きて蚊帳を出た。本多もつづいて出た。二人はまず風呂場の方へ駈けてゆくと、一人の女が風呂のあがり場に倒れていた。風呂の中にはなんにも見えなかった。ともかくも水を飲ませてその女を介抱しているうちに、その声を聞きつけて宿の男や女もここへ駈け付けて来た。
女は表二階に滞在している某官吏の細君であった。この人も混雑を嫌って、正午ごろに一度、夜なかに一度、他の浴客の少ない時刻を見はからって入浴するのを例としていた。今夜はいつもよりも少しおくれて丁度二時を聞いたころに風呂場へ来ると、湯のなかに二人の若い女の首が浮いていた。自分と同じように夜ふけに入浴している人達だと思って、別に怪しみもしないで彼女も浴衣をぬいだ。そうして、湯風呂の前に進み寄った一刹那に、二つの首は突然消えてしまったので、彼女は気を失う程におどろいて倒れた。
ゆうべの田宮の話が思い出されて、遠泉君はなんだか忌な心持になった。しかし本多はそれが迷信でも化け物でもない、自分のとなり座敷の女ふたりが確かに入浴していたに相違ないと言った。それにしても人間ふたりが突然に消え失せる筈はないので、風呂番や宿の男どもが大きい湯風呂のなかへ飛び込んで隅々を探してみると、若い女ふたりが湯の底に沈んでいるのを発見した。女ふたりは確かに入浴していて、あたかもかの細君がはいって来た途端に、どうかしたはずみで湯の底に沈んだらしい。二つの首が突然に消え失せたように見えたのは、それがためであった。すぐに医師を呼んでいろいろと手当てを加えた結果、ひとりの女は幸いに息を吹き返したが、ひとりはどうしても生きなかった。
生きた女は古屋為子であった。死んだ女は児島亀江であった。為子の話によると、ふたりが湯風呂の中にゆっくり浸っていると、なんだか薄ら眠いような心持になった。と思う時に、入口の戸をあけて誰かはいって来たらしいので、湯気の中から顔をあげてその人を窺おうとする一刹那、自分と列んでいる亀江が突然に湯の底へ沈んでしまった。あっ[#「あっ」に傍点]と思うと、自分も何物にか曳かれたように、同じくずるずると沈んで行った。それから後は勿論なんにも知らないというのであった。
三
亀江の検死は済んで、死体は連れの三人に引き渡された。三人はすぐに東京へ電報を打って、その実家から引取り人の来るのを待っていた。為子は幸いに生き返っ
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