の諸名優も相次いで凋落《ちょうらく》し、後輩の若い俳優らが時を得顔に跋扈《ばっこ》しているのを見ると、彼はその仲間入りをするのを快く思わなかったかも知れない。寧《むし》ろ宮戸座あたりの小芝居に立籠《たてこも》って、気楽に自分の好きな芝居を演じている方が、ましであると思っていたかも知れない。他人の眼からは不遇のように見えても、本人はそれに甘んじていたのかも知れない。
しかも女形として五十の坂を越えると、彼も前途を考えなければならなかった。彼は大正の初年から松竹興行会社の専属となって、会社の命ずるままに働いていた。彼は幾何《いくばく》の給料を貰っていたか知らないが、舞台の上では定めて役不足もあったろうと察せられて、その全盛時代を知っている私たちには、さびしく悼《いた》ましく感じられることも少くなかった。
立役と違って、女形は年を取ってはいけませんと、梅幸は述懐していたが、源之助も女形であるために晩年の不遇が更に色濃く眺められたらしい。最近五、六年は舞台に出ているというも名ばかりで、あってもなくても好いような取扱いを受けていたが、彼は黙って勤めていた。いっそ隠退したらよかろうにと思われたが、やはり舞台に出ていることが好きであるのか、あるいは経済上の都合があるのか、彼はとうとう仆《たお》れるまで、舞台の人となっていた。
盛者必衰は免かれ難い因果とはいいながら、団菊左の諸名優を相手にして、「弁天おてる」や三千歳を演じていた青年美貌の俳優が、こうした蕭条《しょうじょう》の終りを取ろうとは――。私も自分の影をかえりみて、暗い心持にならざるを得ない。
底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「読書感興」
1936(昭和11)年7月号
初出:「読書感興」
1936(昭和11)年7月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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