町の米屋といふ旅籠屋《はたごや》の隱居所で、六十幾つになる隱居婆さんが殺されて、門跡樣《もんせきさま》へ納めるとかいふ百兩の金を取られたさうで、わつしもびつくりしましたよ。
六郎 むゝ。(かんがへる。)して、その男はどんな風體《ふうてい》で、年頃や人相は判らなかつたか。
權三 さあ、そこだ。(助十に。)おい、いゝかえ。思ひ切つて云つてしまふぜ。
助十 まあ、待つてくれ。もし、大屋さん。これから權の野郎が何を云ひ出すか知りませんが、わつしに係り合を付けねえで下さいよ。わつしはなんにも知らねえんだから……。
權三 いや、さうは行かねえ。おれと相棒でゐる以上は、どうしたつて手前もかゝり合ひだぞ。
助十 だつて、おれはなんにも云はねえ。
權三 云つても云はねえでも同じことだ。
おかん まあ、そんなことは何うでもいゝから、肝腎のところを早くお云ひなさいよ。じれつたい人だねえ。
六郎 まつたくおれも焦《じれ》つたい。さあ、早く云へ、早く云へ。
彦三郎 さあ、早く聞かしてください。(詰めよる。)
權三 寄つて集《たか》つておればかり虐《いぢ》めちやあ困るな、助の野郎め、狡い奴だ。おぼえてゐろ。
彦三郎 もし、早く云つてください。早く……早く……。
權三 云ふよ、云ふよ。かうなつたら何でも云つて聞かせるよ。その男は……年頃は三十四五で、職人のやうな風體《ふうてい》で……。
彦三郎 職人のやうな風體でござりましたか。
助十 (權三に。)おい、おい。もうその位にして置くがいゝぜ。
六郎 やかましい、默つてゐろ。(權三に。)まだそのほかに何か目じるしは無かつたか。
權三 さあ。(躊躇する。)
六郎 (嚇《おど》すやうに。)これ、權三。なぜおれの前で隱し立てをする。正直に云はないとお前の爲にならないぞ。
おかん お前さん、なぜ隱してゐるんだねえ。をかしいぢやあないか。
權三 えゝ、もう自棄《やけ》だ。みんな云つてしまへ。(少し聲をひそめて。)夜目ではあり、そいつは頬被《ほゝかむ》りをしてゐたので、確なことは云へねえが、どうもそれが近所の奴らしいので……。
六郎 むゝ、近所の奴……。誰だ、誰だ。
權三 (思ひ切つて。)豐島町の裏にゐる左官屋の勘太郎によく似てゐたんですよ。
おかん まあ。あの人が……。
六郎 左官屋の勘太郎……。あいつによく似てゐたのか。これ、助十。どうでお前もかゝり合だから
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