しかし東の白らむ頃から雨も風もだんだん鎮まって、あくる朝はうららかに晴れた日となったが、どこの家にも相当の被害があったらしい。父は自分の家の構え内を見まわって歩くと、前にいった立木や塀の被害のほかに、西側の高い崖がくずれ落ちているのを発見した。幸いにその下は空地であったが、もしも住宅に接近していたらば、わたしの家は潰《つぶ》されたに相違なかった。
 早速に出入りの職人を呼んで、くずれ落ちた土を片付けさせると、土の下から一人の男の死体があらわれた。男は崖くずれに押し潰されて生き埋めとなったのである。かれは手に鍬《くわ》を持っていた。警察に訴えてその取調べをうけると、生き埋めになった男は、女房殺しの森川権七とわかった。
 権七はかの事件以来、どこかに踪跡《そうせき》を晦《くら》ましていたのであるが、どうしてここへ来てこんな最期を遂げたのか、だれにも想像がつかなかった。
「やっぱりわたしの想像があたっていたらしい。」と、父は母にささやいた。
 空地の草原へ穴を掘りに来た者は、おそらく権七とおいねであったろう。父が想像した通り、かれらは何かの埋蔵物を掘出すために、幾たびか忍んで来たらしい。権七は女房を殺して、どこにか姿を隠していながらも、やはりかの埋めたるものに未練があって、風雨の夜を幸いに又もや忍び込んで来て、今度は崖の下を掘っていたらしいことは、かれの手にしていた鍬によって知られる。しかも風雨はかれに幸いせずして、かえって崖の土をかれの上に押し落したのであった。
 これらの状況から推察すると、かれらは遂に求むるものを掘出し得なかったらしい。それが金銀であるか、その他の貴重品であるか、勿論わからない。父はかれらに代って、それを探してみようとも思わなかった。
 明治十年――今から振り返ると、やがて五十年の昔である。あの辺の地形もまったく変って、今では一面の人家つづきとなった。権七夫婦が求めていた掘出し物も、結局この世にあらわれずに終るらしい。



底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷
初出:「写真報知」
   1925(大正14)年9月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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