になると、鼠色の壁に黒い著物を著て出るという風になって、甚だ工合が悪いのです。米斎君が亡くなってしまったから、今後はこれまでやった方々のうちから選ぶことにしますか、また新規な方に御願いするようになりますか、その辺はわかりません。しかし図は取ってありますし、写真も残っていますから、大体はそれで見当がつくはずです。
 一体日本の芝居の道具は、複雑でもあり面倒でもある。家の道具にしたところで、一軒の家を造るのと同じように、柱を立て床を張りして行かなければならない。そこへ行くと外国のは簡単なもので私が紐育《ニューヨーク》へ行った時分に、メーテルリンクの『ベルジュームの市長』という芝居を見ましたが、これは朝、昼、夕方という三幕になっているけれども、三幕が三幕とも、舞台は同じ市長の部屋で、ただ窓から来る光線によって、朝とか、昼とか、夕方とかいうことを現すだけなのです。ですから道具は一度飾っておけば、あとは幕ごとに多少椅子テーブルの位置を替える位に過ぎない。私の見たのは七十日目だということでしたが、外国では半年位続くのは珍しくないそうです。ただその場合に道具の色が変ったりするから、あまり長くなれば上塗をする。まことに簡単とも簡便とも申しようがない。それですから外国の幕間は五分でもいいわけなので、日本の芝居の道具は五分やそこらで飾れるものじゃありません。立木なんかでも外国のは「切出し」といって正面からそう見える板なんですが、日本では本物と同じような丸の木を植えている。それを早く片附けて次のものを早く飾るようにしなければならない。普通の人は前の道具をこわす時間を考えないけれども、つまり手数からいうと二度になるので、幕間五分といっても、二分半でこわして二分半で飾らなければならないのです。そこで舞台装置家はなるべく手のかからぬようにかからぬようにと心がける。念を入れたものが出来ないのは已むを得ません。
 役者の顔をつくるのでもそうです。現代劇の方はさほどでもないが、歌舞伎になりますと、五分位で出来るものじゃない。本当にやれば前の顔を洗って地の顔にして、それから次の顔にかかるのですが、とてもそんな時間はないものだから、作った上をちょっとごまかして出ることになる。真白に塗る歌舞伎の顔は五分や十分で出来るものじゃない。壁を塗るのと同じ理窟で、下塗、中塗、上塗と三度塗らなければ、ツヤのある綺麗な顔は出来ません。下塗を乾かすために団扇《うちわ》で煽《あお》いだりしたものですが、今はそんな暢気《のんき》な事をやっていられないから、はじめから濃いやつを塗る。白粉《おしろい》の方もだんだん器用な物が出来るようですけれども、とにかく日本の芝居で幕間五分というのは、いろいろな点からいって無理なのです。正直にやれば長くなるから、臨機応変でやって行くということになります。
 私の書いた『幡随院長兵衛』の芝居、あれは米斎君の方から、今度の芝居は湯殿が出ますか、という御尋ねがありましたから、出ますというと、今までの芝居でやっている湯殿は出たらめだ、あの時分の湯殿はこうこういうものだから、それで出来るように芝居を書いてくれ、ということなのです。私は実はあの頃の湯殿がどんなものだか知らないんですが、縁側みたいなものがあって手摺がついている。花活《はないけ》に花が活けてあったりして、何だか妙なものだと思ったけれども、万事先生の指図通りにやりました。この場合には限りませんが、舞台装置をなさる方にはまたそういう御道楽があって、今までやっているのは嘘だから、今度はこういう風にやる、というようなところでいい気持になるらしい。それだけ見物が感心するかどうかは疑問ですが、ここが前申した通り、好でなければ出来ないところです。役者にしたって同じ事で、下廻りの役者なんぞは、随分給料が安いといって不平を並べますが、大根《おおね》はといえば好なんだから唐物屋なら唐物屋で、もっと給料を出すからといったところで、役者をやめて其方《そっち》へ行きやしません。電車の運転手がハンドルを動かしているのとはわけが違う。芝居の方でもそこを心得ているから、奴らは何ていったって役者をやめやしないというんで、給料も余計は払わない、ということになるんでしょう。
 大分余談が多くなりました。米斎君の舞台装置ではもう一つこういう話がある。明治四十三年の暮に私は『貞任宗任』というものを書きました。これは翌年の正月に幸四郎と左団次が演じたもので、例によって舞台装置は米斎君に御願いするつもりでいたところ、京都へ旅行なすっていて間に合わない。他に願う方もないものですから、エエいい加減にやっちまえというわけで、私が自分でごまかしておいた。米斎君は正月になって帰られて、芝居を見るといろいろ間違を指摘された。一言もないので、二度目にやる時には御指図に従いますから、といって、大正五年に歌舞伎座で再演した時には、万事米斎君に御願いしました。おれだって出来るなんと思っても、やってみるとそうは行きません。
 私は自分が無趣味だから、米斎君の外の方面の事は殆ど知りません。俳句は本名の米太郎から「世音」と号して、白人会なんかでよくやっておいででしたが、ああいうものの控えがおありですかどうですか。旅行も相当なすったようだけれども、大概御用があったり御連れがあったりで、特に自分ひとりで思い立つというようなことはあまりなかったようです。一体がおとなしい方で、逸話というようなものはごく少い。その点は御父さんの米僊先生とは大分違うと思います。
 日清戦争の時には米僊先生も米斎君も従軍、弟さんの金僊君は日清、日露とも従軍されたようにおぼえています。私は金僊君の方は早くから知っていましたが、米斎君と懇意になったのは日露戦争のあたりからです。明治三十六年に三井呉服店が三越と改称して、流行会というものを拵えた。十五、六人|乃至《ないし》二十人位集って、流行を研究するということでしたが、マア一種の雑談会のようなものです。私にも会員になれということでなったのですが、米斎君は已《すで》に三越に入っておられたか、あるいはまだ入られず米僊先生の代りにおいでなすったか、そこはハッキリしません。とにかくそこで御目にかかったのが最初でした。それ以来三十五年ばかりになるわけです。長い間だから劇評などを書かれたのもあるかも知れませんが、一人のものは今記憶にない。合評会には出ておいででした。主として扮装とか何とかいう方の批評をされたようです。
 何時頃でしたか、米斎君が私のうちへおいでなすって、今そこで掘出し物をしました、といわれたことがある。代官山の駅を下りて此方へ来る途中の古道具屋で、私も湯へ行ったり、髪結床へ行ったりして始終その前を通るのですが、そこで買ったといって見せられたのが、青磁まがいのような壺みたいなものです。雑巾を貸してもらいたい、といって頻《しきり》に拭いておられたが、やっぱりそうです、という。全体いくらで御買いになったんですかと聞いたら、値段をいってしまうと仕方がないが、実は二十五銭で買いました、これで二十円、少くとも十四、五円のものでしょう、といわれたには驚いた。私は毎日その前を通っているんだけれども、ちっとも気がつかない。米斎君はヒョイと通りがかりに見ただけで、直ぐわかったらしいのです。どうも余所《よそ》から来て掘出し物をされちゃ困りますね、といって笑いましたが、――中にはそう掘出し物ばかりもなかったかも知れない。悪くいえばがらくた[#「がらくた」に傍点]に近いものもあったでしょう。こういうものは元来主観的なものだから、本人がこれでいいと思えばそれでいいのかも知れません。私も米斎君から、瓦みたいなものだの、仏様みたいなものだのを頂戴して、難有《ありがと》うございますと御礼はいったけれども、実によくわからないので、戸棚へつッこんでおくうちに、震災でみんな焼いてしまいました。
 去年東北の方へおいでなすった御土産に、堤人形の和唐内を貰いました。これが米斎君から頂戴したものの最後です。今では仙台にこの人形を売る店が二軒位しかないそうですが、そこへ行ってみると、水兵だとか、ベースボールのバットを持っているものだとかいうものばかりで、一向面白くない。漸く棚の隅のところに、今売れない和唐内や何かが押込んであるのを発見して、それを買って来たのだ、ということでした。こういう調子で出先へ行っては何か買われるんだから、そればかりでも大変なものでしょう。
 今度の病気は去年の十一月、箱根へ大名行列の世話においでなすってからのように思う。押詰って見えた時、海軍病院で診察してもらったが、もう十年ばかりは生きていないと仕事が片附かない、やりたい事が沢山ある、という御話だったので、御大事になさいといって別れたのですが、二月の東劇の舞台装置もなすった位だし、二月の六日の晩、私は行かなかったけれども、新橋演舞場で米斎君に逢ったという人がある。そんな調子なら心配はあるまいと思っていると、急に訃報に接して驚きました。実はその頃は私の方が危かったので、風邪のあとで軽い肺炎になって寝ている間に米斎君は亡くなってしまったのです。私の作で米斎君の御世話になったものは五、六十位ありましょう。考えると何だか夢のようです。



底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「伝記」
   1937(昭和12)年6月号
初出:「伝記」
   1937(昭和12)年6月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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