旅の空、この近所で御養生。長いあひだに路銀も盡き、そのみつぎに身のまはり、櫛《くし》笄《かうがい》まで賣り拂ひ、最前もお聽きの通り、悲しい金の才覺も男の病が治したさ。さきほどのお話に、金銀づくではないとの噂、ともしびの消えしより、あの妙藥はどうがなと、思ひつきしが身の因果。どうぞお慈悲にこれ申し、今宵のことはこの場ぎり、お年寄られしお前にまで、苦勞をかけし不孝の罪、けふや死なうか、あすの夜は、わが身の瀬川《せがは》に身を投げてと、思ひしことは幾たびか、死んだあとまでお前の嘆きと、一日ぐらしに日を送る。どうぞお慈悲に御料簡と、あづま育ちの張りも拔け、戀の意氣地《いきぢ》に身を碎く、こゝろぞ思ひやられたり。
(この淨瑠璃を聽くあひだに、半二はをり/\に咳き入る。奧よりおきよは藥を持つて出づれば、半二は要らないと押退けて、机に倚りかゝりながらぢつと聽いてゐる。そのうちに、だん/\弱つてゆくらしいので、お作とおきよは不安らしく見つめてゐると、半二はやがてがつくり[#「がつくり」に傍点]となりて机の上にうつ伏す。お作とおきよは驚いて半二をかゝへ起さうとする。薄く雨の音。小座敷の内ではそれを知らずに淨瑠璃を語りつゞけてゐる。)
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[#地から2字上げ](昭和三年十月「文藝春秋」)
底本:「日本現代文學全集34 岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集」講談社
1968(昭和43)年6月19日発行
初出:「文藝春秋」
1928(昭和3)年10月
入力:土屋隆
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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