す》やすと詠み出したのであるから、関白や大納言が驚歎の舌をまいたのも無理はなかった。
「父は勅勘の身ともあれ、娘には子細あるまい。予が逢いたい。すぐに召せ」と、忠通は言った。
関白家のさむらい織部清治《おりべきよはる》はあくる日すぐに山科郷へゆき向かって、坂部行綱の侘び住居《ずまい》をたずねた。思いも寄らぬ使者をうけて、行綱もおどろいた。彼は娘が大納言の屋形へ推参《すいさん》したことをちっとも知らなかったのであった。その頃の女のたしなみとして、行綱は娘にも和歌を教えた。しかしそれが当代の殿上人を驚かすほどの名誉の歌人になっていようとは夢にも知らなかった。彼は驚いてまた喜んだ。彼は父に無断で大納言の屋形に推参した娘の大胆を叱るよりも、それほどの才女を我が子にもったという親の誇りに満ちていた。
「折角のお召し、身に余ってかたじけのうはござりますけれど……」
言いかけて彼はすこしためらった。貧と病いとに呪われている彼は、関白殿下の御前《ごぜん》にわが子を差し出すほどの準備がなかった。いかに磨かぬ珠だといっても、この寒空にむかって肌薄な萌黄地の小振袖一重で差し出すのは、自分の恥ばかりでない、貴人《あてびと》に対して礼儀を欠いているという懸念《けねん》もあった。使者もそれを察していた。清治は殿よりの下され物だといって、美しい染め絹の大《おお》振袖ひとかさねを行綱の前に置いた。
「重々の御恩、お礼の申し上げようもござりませぬ」
行綱はその賜わり物を押し頂いて喜んだ。使者に急《せ》き立てられて、藻はすぐに身仕度をした。門の柿の木の下には清治の供が二人控えていた。いたずら者の大鴉《おおがらす》もきょうは少し様子が違うと思ったのか、紅い柿の実を遠く眺めているばかりで迂闊に近寄って来なかった。
「御前、よろしゅうお取りなしをお願い申す」と、行綱は縁端《えんばた》までいざり出て言った。
「心得申した。いざ参られい」
藻のあとさきを囲んで、清治と下人《げにん》らが門《かど》を出ようとするところへ、千枝松が来た。彼はまだ病みあがりの蒼い顔をして、枯枝を杖にして草履をひきずりながら辿《たど》って来た。彼は藻をひと目見てあっと驚いたが、そばには立派な侍が物々しい顔をして警固しているので、彼はむやみに声をかけることも出来なかった。となりの陶器師の店の前に突っ立って、彼は見違えるように美しくなった藻の姿を呆れたように眺めていると、陶器師の翁も婆も眼を丸くしてすだれのあいだから窺っていた。
藻はそれらに眼もくれないように、形を正して真っ直ぐにあるいて行った。千枝松はもう堪まらなくなって声をかけた。
「藻よ。どこへ行く」
彼女は振り向きもしなかった。一種の不安と不満とが胸にみなぎってきて、千枝松は前後のかんがえもなしに女のそばへ駈け寄った。
「これ、藻。どこへゆく」と、彼はまた訊いた。
「ええ、邪魔するな。退け、のけ」
清治は扇で払いのけた。勿論、強く打つほどの気でもなかったのであろうが、手のはずみでその扇が千枝松の頬にはた[#「はた」に傍点]とあたった。かれは赫《かっ》となって思わず杖をとり直したが、清治の怖い眼に睨まれてすくんでしまった。藻は知らぬ顔をして悠々とゆき過ぎた。
塚《つか》の祟《たた》り
一
「おお、入道《にゅうどう》よ。ようぞ見えられた」
関白忠通卿はいつもの優しい笑顔を見せて、今ここへはいって来たひと癖ありそうな小作《こづく》りの痩《やせ》法師を迎えた。法師は少納言|通憲《みちのり》入道|信西《しんぜい》であった。当代無双の宏才博識として朝野《ちょうや》に尊崇されているこの古《ふる》入道に対しては、関白も相当の会釈をしなければならなかった。ことに学問を好む忠通は日頃から信西を師匠のようにも敬《うやま》っていた。
「きょうは藻という世にもめずらしい乙女がまいる筈じゃ。入道もよい折柄《おりから》にまいられた。一度対面してその鑑定をたのみ申したい」と、忠通はまた笑った。
「藻という乙女……。それは何者でござるな」と、信西もその険しい眉をやわらげてほほえんだ。
「これ見られい。この歌の詠みびとじゃ」
関白の座敷としては、割合に倹素で、忠通の座右《ざゆう》には料紙硯と少しばかりの調度が置かれてあるばかりであった。忠通は一枚の料紙をとり出して入道の前に置くと、信西はその歌を読みかえして、長い息をついた。
「なにさまよう仕《つか》まつったのう。ひとり寝の別れという難題をこれほどに詠みいだすものは、世におそらく二人とはござるまい。して、その乙女は何者でござるな。身はうき草の根をたえて、水のまにまに流れてゆく、藻とは哀れに優しい名じゃ」と、彼は再びその料紙を手にとり上げて、見とれるように眺めていた。
それがさきに勅勘を蒙った坂部庄司蔵人行綱の娘であると言い聞かされて、信西はまた眉を皺めた。彼は蔵人行綱の名を記憶していなかった。自分の記憶に残っていないくらいであるから、行綱の人物も大抵知れてあるように思われた。その行綱がこれほどの才女を生み出したというのは、世にも珍しいことである。彼もその藻という乙女をひと目見たいと思った。
「では、その乙女をきょう召されましたか」
「大納言のことばによれば、世にたぐいないかとも思わるるほどの美しい乙女じゃそうな。一度逢うて見たいと思うて、きょう呼び寄せた。もうやがて参るであろうよ」
幾分か優柔という批難こそあれ、忠通は当代の殿上人《てんじょうびと》のうちでも気品の高い、心ばえの清らかな、まことに天下の宰相《さいしょう》として恥ずかしからぬ人物であった。彼は色を好まなかった。年ももう四十に近い。美しい乙女ということばが彼の口から出ても、それが何のけしからぬ意味をも含んでいないことは相手にもよく判っていた。客もあるじも十六夜《いざよい》の月を待つような、風流なのびやかな、さりとて一種の待ちわびしいような心持で、その美しい乙女のあらわれて来るのを待っていた。
「藻が伺候つかまつりました。すぐに召されまするか」
織部清治は来客の手前を憚って、主人の顔色をうかがいながらそっと訊くと、忠通はすぐに通せと言った。やがて清治に案内されて、藻は庭さきにはいって来た。
ここは北の対屋《たいのや》の東の庭であった。午《ひる》すぎの明るい日は建物の大きい影を斜めに地に落として、その影のとどかない築山のすそには薄紅い幾株かの楓《もみじ》が低く繁って、暮れゆく秋を春日絵《かすがえ》のようにいろどっていた。藻はその背景の前に小さくうずくまって、うやうやしく土に手をついた。
「いや、苦しゅうない。これへ召しのぼせて藁蓐《わらうだ》をあたえい」と、忠通はあごで招いた。
清治は心得て、藻を縁にのぼらせた。そうして藁の円座を敷かせようとしたが、藻は辞退して板縁の上に行儀よくかしこまった。
「予は忠通じゃ。そちは前《さき》の蔵人坂部庄司の娘、藻と申すか」と、忠通は向き直って声をかけた。
「仰せの通り、坂部行綱のむすめ藻、初めてお目見得つかまつりまする」
彼女は謹んで答えると、信西も軽く会釈した。
「わしは少納言信西じゃ」
「遠慮はない。おもてをあげて見せい」
関白に再び声をかけられて、藻はしずかに頭をあげた。彼女の顔は白い玉のように輝いていた。彼女の眉は若い柳の葉よりも細く優しくみえた。彼女の眼は慈悲深い観音のそれよりもやわらかく清げに見えた。その尊げな顔、その優しげなかたち、これが果たして人間の胤《たね》であろうかと、色を好まない忠通も思わず驚歎の息をのんで、この端麗なる乙女の顔かたちをのぞき込むように眺めていた。六十に近い信西入道も我にもあらで素絹《そけん》の襟をかき合わせた。
「年は幾つじゃ」と忠通はまた訊いた。
「十四歳に相成りまする」
「ほう、十四になるか。才ある生まれだけに、年よりまして見ゆる。歌は幾つの頃から誰に習うた」
この問いに対して、藻はあきらかに答えた。自分は字音《じおん》仮名づかいを父に習ったばかりで、これまで定まった師匠に就いて学んだことはない。いわば我流でお恥ずかしいと言った。その偽らない、誇りげのない態度が、いよいよ忠通の心をひいた。彼は更に打ち解けて言った。
「なにびとも詠み悩んだ独り寝の別れの難題を、よう仕まつった者には相当の褒美を取らそうと、忠通かねて約束してある。そちには何を取らそうぞ。金《かね》か絹か、調度のたぐいか、なんなりとも望め」
藻の涙は染め絹の袖にはらはらとこぼれた。
「ありがたい仰せ。つたない腰折れをさばかりに御賞美下されまして、なんなりとも望めとある、そのおなさけに縋《すが》って、藻一生のお願いを憚りなく申し上げてもよろしゅうござりましょうか」
「おお、よい、よい。包まずに申せ」と、忠通は興《きょう》ありげにうなずいた。
「父行綱が御赦免《ごしゃめん》を……」
言いかけて、彼女は恐るおそる縁の上に平伏した。忠通と信西とは眼をみあわせた。忠通の声はすこしく陰《くも》った。
「優しいことを申すよのう。恩賞として父の赦免を願うか」
この願いは二様《によう》の意味で忠通のこころを動かした。第一は乙女の孝心に感じさせられたのと、もう一つには自分の過去に対する微かな悔み心を誘い出されたのとであった。北面《ほくめん》の行綱に狐を射よと命じたのは自分である。行綱が仕損じた場合に、ひどく気色《けしき》を損じたのも自分である。勅勘とはいえ、そのとき自分に彼を申しなだめてやる心があれば、行綱はおそらく家の職を剥がれずとも、済んだのであろう。勿論、彼にも落度はあるが、さまでに厳しい仕置きをせずともよかったものをと、その当時にもいささか悔む心のきざしたのを、年月《としつき》の経つにつれて忘れてしまった。それが今度の歌から誘い出されて、北面行綱の名が忠通の胸によみがえった。まして自分の眼の前には、美しい乙女が泣いて父の赦免を訴えているではないか。忠通もおのずと涙ぐまれた。
「そちの父は勅勘の身じゃ。忠通の一存でとこうの返答はならぬが、その孝心にめでて願いの趣きは聞いて置く。時節を待て」
この時代、関白殿下から直接にこういうお詞《ことば》がかかれば、遅かれ速かれ願意のつらぬくのは知れているので、藻は涙を収めてありがたくお礼を申し上げた。御前の首尾のよいのを見とどけて、清治は藻に退出をうながした。
「また召そうも知れぬ。その折りには重ねてまいれよ」
忠通は当座の引出物《ひきでもの》として、うるわしい色紙短冊と、紅葉《もみじ》がさねの薄葉《うすよう》とを手ずから与えた。そうして、この後ともに敷島の道に出精《しゅっせい》せよと言い聞かせた。藻はその品々を押しいただいて、清治に伴われて元の庭口からしずかに退出した。
「さかしい乙女じゃ、やさしい乙女じゃ。独り寝の歌をささげたも、身の誉れを求むる心でない。父の赦免を願おうためか。さりとは哀れにいじらしい」と、忠通は彼女のうしろ姿をいつまでも見送って再び感歎の溜息を洩らした。
信西は黙っていた。定めてなんとか相槌《あいづち》を打つことと思いのほか、相手は固く口を結んでいるので、忠通はすこし張り合い抜けの気味であった。彼は信西の返事を催促するように、また言った。
「あれほどの乙女を草の家《や》に朽ちさするはいとおしい。眉目形《みめかたち》といい、心ばえといい、世にたぐいなく見ゆるものを……。のう、入道。あれをわが屋形に迎い取って教え育て、ゆくゆくは宮仕えをもさしょうと思うが、どうであろうな」
信西は眼をとじて黙っていた。彼の険しい眉は急に縮んだかと思われるように迫ってひそんで、ひろい額《ひたい》には一本の深い皺を織り込ませていた。彼が大事に臨んで思案に能《あた》わぬ時に、いつもこうした物凄い人相を現わすことを忠通もよく知っていた。知っているだけに、なんだか不思議にも不安にも思われた。
「入道。どうかおしやれたか」
重ねて呼びかけられて、信西は初めて眼をひらいたが、何者をか畏《おそ》るるようにその眼を再び皺めて、しばらくは空《く
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