聞こえなかった。獣の迷う影も見えなかった。野州から陸奥《みちのく》につづく大きい平原は、大きい夜の底に墓場のように静かに眠っていた。
事実に於いて、そこは怖ろしい墓場であった。金売りの商人が話した通りに、原の奥には大きい奇怪な石が横たわって、そのあたりには無数の骨や羽が累々《るいるい》と積みかさなっていた。千枝太郎は笠の檐《のき》も隠されるほど高い枯れすすきを泳ぐように掻きわけて、そこらにうず高い骸骨の山を踏み越えながら、ようようのことで石と向かい合って立った。風のない夜で、彼を取り巻いているすすきも茅萱もそよりとも動かなかった。石も動かなかった。
千枝太郎は玉藻のたましいを宿したその石を月明かりでしばらく眺めていた。彼は玉藻のために後世《ごせ》を祈ろうとも思っていなかった。畜生にむかって菩提心をおこせと勧めようとも思っていなかった。彼はただ、藻《みくず》と玉藻《たまも》とを一つにあつめたその魔女が恋しいのである。石をじっと見つめている彼の眼からは、とどめ難い涙がはらはらとこぼれ、彼は堪まらなくなって、石にむかって呼んだ。
「藻よ、玉藻よ、千枝太郎じゃ」
石は彼の思いなしか、それに応《こた》えるように、ゆらゆらと揺るぎ始めた。彼はつづけて呼んでみた。
「藻よ。玉藻よ……。千枝太郎がたずねて来たぞ」
石は又ゆらめいた。そうして、ひとりの艶《あで》やかな上臈《じょうろう》の立ち姿がまぼろしのように浮き出て来た。柳の五つ衣《ぎぬ》にくれないの袴をはいて、唐衣《からごろも》をかさねた彼女の姿は、見おぼえのある玉藻であった。
「千枝太郎どの、ようぞ訪ねて来てくだされた。そのこころざしの嬉しさに、再び昔の形を見せまする」
寒月に照らされた彼女は、むかしのように光り輝いていた。千枝太郎は夢心地で走り寄ろうとするのを、彼女は檜扇で払い退《の》けるようにさえぎった。
「それほどのこころざしがあるならば、なぜ今までにわたしの親切を仇《あだ》にして、お師匠さまの味方をせられた。又いっときなりとも三浦の娘に心を移された。それが憎い、怨めしい。今更なんぼう恋しゅう思われても、お前とわたしとの間には大きい関が据《す》えられた。寄ろうとしても寄られませぬぞ」
「それはわしの過失《あやまち》じゃ。免《ゆる》してたもれ」と、千枝太郎は枯草の霜に身をなげ伏して泣いた。「今までお身を疑うたはわしの過失じゃ。お身を恐れたは猶更のあやまちじゃ。魔女でも鬼女でも畜生でも、なつかしいと思うたら疑わぬ筈、恋しいと思うたら恐れぬ筈。それを疑い、それを恐れて、仇に月日を過ごしたばかりか、お師匠さまに味方してお身をかたきと呪うたは、千枝太郎が一生のあやまちじゃ。この通りに詫びる。こらえてたもれ」
彼は早く悪魔の味方にならなかったことを今更に悔やんだ。悪魔と恋して、悪魔の味方になって、悪魔と倶《とも》にほろびるのがむしろ自分の本望であったものをと、彼は膝に折り敷いた枯草を掻きむしって遣る瀬もない悔恨の涙にむせんだ。その熱い涙の玉の光るのを、玉藻はじっと眺めていたが、やがて優しい声で言った。
「お前はそれほどにわたしが恋しいか。人間を捨ててもわたしと一緒に棲みたいか」
「おお、一緒に棲むところあれば、魔道へでも地獄へでもきっとゆく」と、彼は堪えられない情熱に燃える眼を輝かして言った。
玉藻は美しく笑った。彼女はしずかに扇をあげて、自分の前にひざまずいている男を招いた。
ひとりの若い旅びとが殺生石を枕にして倒れているのを、幾日かの後に発見した者があった。その旅びとは微笑を含みながら平和の永い眠りに就いているらしかった。しかし怖ろしい墓場へ踏み込んで、その亡骸《なきがら》を取り片付ける者もなかったので、彼はそのままにいつまでも捨てて置かれた。そのうちに寒い冬が奥州の北から押し寄せて来て、那須野ケ原も一面の雪の底に埋められた。
あくる年の春が来て、殺生石は雪の底から再びその奇怪な形をだんだんに現わしたが、旅びとの姿はもう見えなかった。彼は融《と》ける雪と共に消えてしまったのかもしれない。
それから十年も経たないうちに、都には二度の大きい禍いが起こって、みやこは焚かれた。大勢の人は草を薙ぐように斬り殺された。保元《ほうげん》と平治《へいじ》の乱である。しかも古来の歴史家は、この両度の大乱の暗いかげに魔女の呪詛《のろい》の付きまつわっていることを見逃しているらしい。玉藻をほろぼした頼長は保元の乱の張本人となって、ぬしの知れない流れ矢に射られた。
信西入道はあくまでも狡獪《こうかい》なる態度を取って、前度の乱にはつつがなく逃れたが、後の平治の乱には彼が正面の敵と目指された。彼は逃れない運命を観じて、みずから土の中に生き埋めとなったのを、再び敵に掘り出されて、その老いたる法師首を獄門にかけられた。
玉藻のかたきは、こうしてみなむごたらしく亡ぼされてしまった。忠通は法性寺にかくれて剃髪した。泰親だけは無事に子孫繁昌した。
那須野の殺生石が玄翁《げんのう》和尚の一|喝《かつ》によって砕かれたのは、それから百年の後であったと伝えられている。
底本:「修禅寺物語」光文社文庫、光文社
1992(平成4)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年3月30日公開
2002年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全29ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング