師首を獄門にかけられた。
 玉藻のかたきは、こうしてみなむごたらしく亡ぼされてしまった。忠通は法性寺にかくれて剃髪した。泰親だけは無事に子孫繁昌した。
 那須野の殺生石が玄翁《げんのう》和尚の一|喝《かつ》によって砕かれたのは、それから百年の後であったと伝えられている。



底本:「修禅寺物語」光文社文庫、光文社
   1992(平成4)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年3月30日公開
2002年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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