声がきこえると、たくさんのすっぽんがあわてて一度に姿をかくしてしまうそうです。かれらに耳があるのか、すっぽんと聞けばわが身の大事と覚《さと》るのか、なにしろ不思議なことで、それをかんがえると、泥鼈を食うのも何だか忌《いや》になりますね。」
有年はだまって聴いていた。馬琴はしずかに答えた。
「それは初耳ですが、そんなことが無いとも言えません。これはわたしの友達の小沢蘆庵《おざわろあん》から聴いた話ですが、蘆庵の友達に伴蒿蹊《ばんこうけい》というのがあります。ご存じかも知れないが、蘆庵、蒿蹊、澄月、慈延といえば平安の四天王と呼ばれる和歌や国学の大家ですが、その蒿蹊がこういう話をしたそうです。家の名は忘れましたが、京に名高いすっぽん屋があって、そこへ或る人が三人づれで料理を食いに行くと、その門口《かどぐち》にはいったかと思うと、ひとりの男が急に立ちどまって、おれは食うのを止そうという。ほかの二人もたちまち同意して引っ返してしまった。見ると、おたがいに顔の色が変っている。まず一、二町のあいだは黙って歩いていたが、やがてそのひとりが最初帰ろうと言い出した男にむかって、折角ここまで足を運びながら
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