ない。どうぞおとなしく素直に裂かれてくれ。その代りにおれは今日かぎりで、きっとこの商売をやめる。判ったか。」
それが鰻に通じたとみえて、かれはからみ付いた手を素直に巻きほぐして、俎板の上で安々と裂かれた。吉次郎はまず安心して、型のごとくに焼いて出すと、連れの客は死人を焼いたような匂いがするといって箸を把らなかった。山口屋の主人は半串ほど食うと、俄に胸が悪くなって嘔《は》き出してしまった。
その夜なかの事である。うなぎの生簀のあたりで凄まじい物音がするので、家内の者はみな眼をさました。吉次郎はまず手燭をとぼして蚊帳のなかから飛び出してゆくと、そこらには別に変った様子も見えなかった。夜なかは生簀の蓋の上に重い石をのせて置くのであるが、その石も元のままになっているので、生簀に別条はないことと思いながら、念のためにその蓋をあけて見ると、たくさんのうなぎは蛇のように頭をあげて、一度にかれを睨んだ。
「これもおれの気のせいだ。」
こう思いながらよく視ると、ひとつ残っていた、かの大うなぎは不思議に姿を隠してしまった。一度ならず、二度三度の不思議をみせられて、吉次郎はいよいよ怖ろしくなった。かれ
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