からは浪花節が流行して来た。その以前の浪花節は専ら場末の寄席に逼塞《ひっそく》して、聴衆も下層の人々が多かったのであるが、次第に勢力を増して来て、市内で相当の地位を占めている席亭も「御座敷浄瑠璃、浪花節」のビラを懸けるようになった。聴衆もまた高まって、相当の商人も行き、髭の生えた旦那も行き、黒縮緬の羽織を着た奥さんも行くようになった。そのほかに、明治三十年以後には源氏節、大阪仁和賀、改良剣舞のたぐいまでが東京の寄席にあらわれて、在来の色物はだんだんに圧迫されて来た。今日落語界の不振を説く人があるが、右の事情で東京の落語界はその当時から已に凋落の経路を辿りつつあったのである。[#地から2字上げ](昭和一一・一・日本及日本人)
底本:「綺堂芝居ばなし」旺文社文庫、旺文社
1979(昭和54)年1月20日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2004年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全28ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング