戸中にも知れ渡っている御大家だが、失礼ながら随分不取締だとみえますね。ねえ、そうでしょう。主殺しをするような太てえ奴等に、三度の飯を食わして、一年いくらの給金をやって、こうして大切に飼って置くんだからね。
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(人々はびっくりして、再び顔をみあわせる。)
[#ここで字下げ終わり]
十右衛 (あわてて。)まあ、お静かにねがいます。ここは店先、表は往来でございますから。
半七 そんなことは知れていらあ。(せせら笑う。)だれに聞えたって構うものか。どうせ引きまわしの出る家《うち》だ。
十右衛 もし、親分。
半七 いいってことよ、うるせえな。(一同を睨みまわして。)やい、こいつ等。よく聞け。(羽織をぬぐ。)てめえたちは揃いも揃って不埒な奴等だ。おれがさっきから犬っころと云ったのも無理はあるめえ。大それた主殺しを朋輩に持ちながら、知らん顔をして一つ店に奉公して一つ釜の飯を食っているという法があると思うか。ええ、白ばっくれるな。この中に主殺しのはりつけ[#「はりつけ」に傍点]野郎が一匹まぐれ込んでいるということは、おれがちゃんと睨んでいるのだ。多寡が守っ子みたような小阿魔《こあま》ひとりのいきさつ[#「いきさつ」に傍点]から、大事の主人を殺すというような、そんな心得違げえの犬畜生をこれまで平気で飼って置いたのがそもそもの間違げえで、ここの主人もよっぽどの明きめくらだ。もし、大和屋の旦那。おまえさんの眼玉もちっと曇っているようだから、物置へいってあく[#「あく」に傍点]の水で二三度洗って来ちゃあどうですね。
十右衛 いや、もう、どんなに叱られても一言はございません。併し親分、お願いでございますから何分お静かに……。
半七 お前さんにゃあお気の毒かも知れねえが、わっしに取っちゃあ仕合せだ。ここで主殺しの科人《とがにん》を引っくくって連れていけば、八丁堀の旦那にもいいみやげが出来るというものだ。(また呶鳴る。)さあ。こいつ等。生けしゃあしゃあとした面をしていても、どいつの腹が白いか黒いか、おれがもう睨んでいるのだ。てめえたちの主人のような明きめくらだと思うと、ちっとばかり的《あて》が違うぞ。なん時両方の腕がうしろへ廻っても、決しておれを怨むな。飛んだ梅川の浄瑠璃で、縄かける人が怨めしいなんぞと詰まらねえ愚痴をいうな。嘘や冗談じゃあねえ。(ふと
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