》さん。兄さんがあんなに受合ってくれたんですから、きょうはこれで帰ろうじゃありませんか。ね、そうおしなさいよ。さあ、いきましょうよ。
文字清 でも、親分さんは何だかわたしの云うことを本当にしてくれないようですから。(又泣く。)
半七 それもこれも長い目で見ていれば自然に判ることだ。あんまり世話を焼かせねえで素直に帰りなせえ。(おくめに。)さあ、早く連れていけ。
おくめ さあ、おまえさん。(文字清の手をとる。)帰りましょうよ。
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(文字清は無言で泣きながら起ち上がる。おくめは労わるようにして表へ連れ出してゆく。)
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半七 おい、ちょっと待て。おまえ一人じゃあちっと不安心だ。野郎を誰か送らせてやろう。亀のほかに幸次郎がいる筈だ。(二階にむかいて。)おい、幸次郎。来てくれ。
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(二階より子分の幸次郎いず。)
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幸次郎 なんですね。
半七 妹と一緒にあの師匠を送って行ってくれ。大分のぼせているようだから気をつけろ。
幸次郎 わかりました。(すぐに表へ来る。)
おくめ 御苦労さまですね。
幸次郎 この師匠の家《うち》はたしか下谷だったね。それなら遠い旅でもねえ。さあ、行きやしょう。
おくめ 兄さん、さよなら。
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(おくめと幸次郎が附添いて文字清を送ってゆく。半七は縁に出で、池の鯉に麩を出してやりながらじっと考えている。奥より亀吉いず。)
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亀吉 親分。飛んでもねえ気ちげえに取っ捉まって、ひどい目に逢いなすったね。(笑いながら茶碗などを片附ける。)陽気がだんだんぽか付いて来ると、ああいうのが殖えて来るものだ。
半七 そうは云うものの半気ちげえになるのも無理はねえ。考えてみりゃあ可哀そうなものだ。なんとかして早く埒をあけてやりてえものだ。
亀吉 和泉屋の息子はとうとう死んだそうですね。
半七 それだからいよいよ打っちゃっては置かれねえ。
亀吉 芝居の六段目がほんとうの六段目になったのは不思議さね。
半七 不思議といえば不思議だな。
亀吉 あの師匠の云うのはほんとうだろうか。
半七 おめえはどう思う。
亀吉 そりゃあ判らねえ。だが、あんなに半気ちげえになっているのを見ると、まんざら
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