。勿論その子細はわからない。古びた机の上に兜をかざって線香をそなえ、ふたりはその前に死んでいたのである。
 その話を聞かされて、勘次郎はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。そうして、その兜はどうしたかと訊くと、かれらの家には別にこれぞという親類もないので、近所の者がその家財を売って葬式をすませた。兜もそのときに古道具屋に売り払われてしまったとの事であった。かれらの墓もやはり円通寺にあるので、勘次郎は彰義隊の墓と共に拝んで帰った。その以来、彼は彰義隊の墓へまいるときには、かならずかの親子の小さい墓へも香花《こうげ》をそなえるのを例としていた。
 憲法発布の明治二十二年には、勘次郎ももう四十四歳になっていた。その当時かれは築地に住んでいたので、夏の宵に銀座通りを散歩すると、夜みせの古道具屋で一つの古い兜を発見した。彼は言い値でその兜を買って帰った。あまりにいろいろの因縁がからんでいるので、彼はそれを見すごすに忍びないような気がしたからであった。
 かれはその兜を形見として明治の末年に世を去った。相続者たる邦原君もその来歴を知っているので、そのままに保存して置いたのである。勿論、その兜が邦原
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