三
下谷の坂本通りで善吉を斬ったのは何者であるか、このごろ流行る辻斬りであろうというだけのことで、遂にその手がかりを獲《え》ずに終った。主人をうしなった善吉の家族は、店をたたんで何処へか立退いてしまったので、兜のゆくえも判らなかった。おそらく他の諸道具と一緒に売払われたのであろうと、金兵衛は言っていた。
それから四年目の慶応二年に、隠居の勘十郎は世を去って、相続人の勘次郎が名実ともに邦原家の主人《あるじ》となった。かれはお町という妻を迎えて、慶応三年にはお峰という長女を生んだ。それが現代の邦原君の姉である。
その翌年は慶応四年すなわち明治元年で、勘次郎は二十三歳の春をむかえた。この春から夏へかけて、江戸に何事が起ったかは、改めて説明するまでもあるまい。勘次郎は老いたる母と若い妻と幼い娘とを知己《しるべ》のかたにあずけて、自分は上野の彰義《しょうぎ》隊に馳《は》せ加わった。
五月十五日の午後、勘次郎は落武者《おちむしゃ》の一人として、降りしきる五月雨《さみだれ》のなかを根岸のかたへ急いでゆくと、下谷から根岸方面の人々は軍《いくさ》の難を逃がれようとして、思い思いに家財を取りま
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