いので、なにも人殺しとか泥坊とかいうような警察事故に限ったことではないのでございます。そこで、どなたからと申すよりも、やはり前回の先例にならいまして、今晩もまず星崎さんから口切りを願うわけにはまいりますまいか。」
星崎さんは前回に「青蛙神」の怪を語った人である。名ざしで引出されて、頭をかきながらひと膝ゆすり出た。
「では、今夜もまた前座を勤めますかな。なにぶん突然のことで、面白いお話も思い出せないのですが……。わたしの友人に佐山君というのがおります。現在は××会社の支店長になって上海《シャンハイ》に勤めていますが、このお話――明治三十七年の九月、日露戦争の最中で、遼陽《りょうよう》陥落の公報が出てから一週間ほど過ぎた後のことです。――の当時はまだ二十四、五の青年で、北の地方の某師団所在地にある同じ会社の支店詰めであったそうで、勿論、その地位もまだ低い、単に一個の若い店員に過ぎなかったのです。××会社はその頃、その師団の御用をうけたまわって、何かの軍需品を納めていたので、戦争中は非常に忙がしかったそうです。佐山君は学校を出たばかりで、すぐにこの支店に廻されて、あまりに忙がしいので一時は面くらってしまったが、それもだんだんに馴れて来て、ようよう一人前の役目がまずとどこおりなく勤められるようになった頃に、この不思議な事件が出来《しゅったい》したのですから、そのつもりでお聞きください。」
こういう前置きをして、彼はかの佐山君と火薬庫と狐とに関する一|場《じょう》の奇怪な物語を説き出した。
一
遼陽陥落の報知は無論に歓喜の声をもって日本じゅうに迎えられたが、殊に師団の所在地であるだけに、ここの気分はさらに一層の歓喜と誇りとをもって満たされた。盛大な提灯行列が三日にわたって行なわれて、佐山君の店の人たちも疲れ切ってしまうほどに毎晩提灯をふって歩きつづけた。声のかれるほどに万歳を叫びつづけた。そのおびただしい疲労のなかにも、会社の仕事はますます繁劇《はんげき》を加えるばかりで、佐山君らはほとんど不眠不休というありさまで働かされた。
けさも朝から軍需品の材料をあつめるために、町から四里ほども距《はな》れている近在を自転車で駈けずりまわって、日の暮れる頃に帰って来ると、もう半道《はんみち》ばかりで町の入口に行き着くというところで、自転車に故障ができた。田舎道をむ
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