家でも心配して叔母のところへ聞合せると、右の次第で屋敷の門を出た後のことは判らなかった。それから二日を過ぎ、三日を過ぎても、伊四郎はその姿をどこにも見せなかった。彼は龍の鱗をかかえたままで、なぜ逐電してしまったのか、誰にも想像が付かなかった。
ただひとつの手がかりは、当日の九つ半ごろに酒屋の小僧が浜町河岸を通りかかると、今まで晴れていた空がたちまち暗くなって、俗に龍巻《たつまき》という凄まじい旋風《つむじかぜ》が吹き起った。小僧はたまらなくなって、地面にしばらく俯伏《うつぶ》していると、旋風は一としきりで、天地は再び元のように明るくなった。秋の空は青空にかがやいて、大川の水はなんにも知らないように静かに流れていた。旋風は小部分に起ったらしく、そこら近所にも別に被害はないらしく見えた。ただこの小僧のすこし先をあるいていた羽織袴の侍が、旋風のやんだ時にはもう見えなくなっていたということであるが、その一刹那、小僧は眼をとじて地に伏していたのであるから、そのあいだに侍は通り過ぎてしまったのかも知れない。
伊四郎が見たのは龍ではない、おそらく山椒魚《さんしょううお》であろうという者もあった。そのころの江戸には川や古池に大きい山椒魚も棲んでいたらしい。それが風雨《あらし》のために迷い出したので、鱗はなにかほかの魚のものであろうと説明する者もあった。いずれにしても、彼がゆくえ不明になったのは事実である。彼は当時二十八歳で、夫婦のあいだに子はなかった。事情が事情で、急養子の届けを出すというわけにもいかなかったので、その家はむなしく断絶した。
底本:「影を踏まれた女」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年10月20日初版1刷発行
2001(平成13)年9月5日3刷
初出:
新牡丹燈記「写真報知」
1924(大正13)年6月
寺町の竹藪「写真報知」
1924(大正13)年9月
龍を見た話「週刊朝日」
1924(大正13)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:hongming
2006年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました
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