者はある。併しながら戦争そのものは自然の勢である。欧州の大勢が行くべき道を歩んで、ゆくべき所へゆき着いたのである。その大勢に押流された人間は、敵も味方も悲惨である。野に咲く百合を見て、ソロモンの栄華を果敢なしと説いた神の子は、この芥子の花に対して何と考えるであろう。
坂を登るのでいよいよ汗になった我々は、干枯びたオレンジで渇を癒していると、汽車の時間が迫っているから早く自動車に乗れと催促される。二時間も延着した祟りで、ゆっくり落付いてはいられないと案内者が気の毒そうに云うのも無理はないので、どの人もおとなしく自動車に乗り込むと、車は待兼ねたように走り出したが、途中から方向をかえて、前に来た路とはまた違った町筋をめぐってゆく。路は変っても、やはり同じ破壊の跡である。プレース・ド・レパプリクの噴水池は涸れ果てて、まん中に飾られた女神の像の生白い片腕がもがれている。
停車場へ戻って自動車を降りると、町の入口には露店をならべて、絵葉書や果物のたぐいを売っている男や女が五六人見えた。砲弾の破片で作られた巻莨の灰皿や、独逸兵のヘルメットを摸したインキ壺なども売っている。そのヘルメットは剣を突き刺したり、斧を打ち込んだりしてあるのが眼についた。摸造品ばかりでなく、ほん物の独逸将校や兵卒のヘルメットを売っているのもある。おそらく戦場で拾ったものであろう。その値をきいたら九十フランだと云った。勿論、云い値で買う人はない。或人は五十フランに値切って二つ買ったとか話していた。
『なにしろ暑い。』
異口同音に叫びながら、停車場のカフエーへ駆け込んで、一息にレモン水を二杯のんで、顔の汗とほこりを忙しそうに拭いていると、四時三十分の汽車がもう出るという。あわてて車内に転がり込むと、それが又延着して、八時を過ぎる頃にようやく巴里に送り還された。
この紀行は大正八年の夏、巴里の客舎で書いたものである。その当時、彼のランスの戦場のような、寧ろそれ以上のおそろしい大破壊を四年後の東京のまん中で見せ付けられようとは、思いも及ばないことであった。よそ事のように眺めて来た大破壊のあとが、今やありありと我が眼のまえに拡げられているではないか。わたしはまだ異国の夢が醒めないのではないかと、ときどきに自分を疑うことがある。(大正十二年十月、追記)
[#地から2字上げ](大正八年)
底本:「世界紀行文学全集 第一巻 フランス編1[#「1」はローマ数字、1−13−21]」修道社
1959(昭和34)年9月20日発行
入力:門田裕志
校正:小林繁雄
2006年7月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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