で、一度も故郷へ帰らなかったことを深く悔んだ。
「あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここを離れませぬ。」と、彼は誓った。
両親や妹の菩提《ぼだい》を弔うだけならば、必ずしもここに留まるにも及ばないが、悲しむべく怖るべきはかの髑髏である。
如是畜生発菩提心《にょぜちくしょうほつぼだいしん》の善果をみるまでは、自分はここを去るまいと決心して、彼はこの空家に蹈みとどまることにした。そうして、丸三年の今日まで読経《どきょう》に余念もないのであるが、髑髏はまだ朽ちない、髑髏はまだ落ちない、髑髏はまだ笑っているのである。
彼が三年、五年、十年、あるいは一生ここにとどまるかも知れないと覚悟しているのも、それがためであろう。
この長物語を終って、老人はまた嘆息した。
「あまりお気の毒だから、いっそ畚をおろして何とか骸骨を取りのけてしまおうと言い出した者もあるのだが、息子の坊さまは承知しないで、まあ自分にまかせて置いてくれというので、そのままにしてあるのだ。」
叔父も溜息をついて別れた。
その晩は上大須の村に泊ると、夜中から山も震うような大あらしになった。
この風雨がかの枝を吹き折るか、かの髑髏を吹き落すか。かの僧は風雨にむかって読経をつづけているか。――叔父は寝もやらずに考え明かしたそうである。
底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
1925(大正14)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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