。おらはなつても取らないよ。粟をさがすなら、もつと北に行つて見たらよかべ。」
そこでみんなは、もっともだと思つて、こんどは北の黒坂森、すなはちこのはなしを私に聞かせた森の、入口に来て云ひました。
「粟を返して呉《け》ろ。粟を返して呉ろ。」
黒坂森は形を出さないで、声だけでこたへました。
「おれはあけ方、まつ黒な大きな足が、空を北へとんで行くのを見た。もう少し北の方へ行つて見ろ。」そして粟餅のことなどは、一言も云はなかつたさうです。そして全くその通りだつたらうと私も思ひます。なぜなら、この森が私へこの話をしたあとで、私は財布からありつきりの銅貨を七《しち》銭出して、お礼にやつたのでしたが、この森は仲々受け取りませんでした、この位気性がさつぱりとしてゐますから。
さてみんなは黒坂森の云ふことが尤《もつと》もだと思つて、もう少し北へ行きました。
それこそは、松のまつ黒な盗森《ぬすともり》でした。ですからみんなも、
「名からしてぬすと臭い。」と云ひながら、森へ入つて行つて、「さあ粟返せ。粟返せ。」とどなりました。
すると森の奥から、まつくろな手の長い大きな大きな男が出て来て、まるでさけるやうな声で云ひました。
「何だと。おれをぬすとだと。さう云ふやつは、みんなたゝき潰《つぶ》してやるぞ。ぜんたい何の証拠があるんだ。」
「証人がある。証人がある。」とみんなはこたへました。
「誰《たれ》だ。畜生、そんなこと云ふやつは誰だ。」と盗森は咆《ほ》えました。
「黒坂森だ。」と、みんなも負けずに叫びました。
「あいつの云ふことはてんであてにならん。ならん。ならん。ならんぞ。畜生。」と盗森はどなりました。
みんなももつともだと思つたり、恐ろしくなつたりしてお互に顔を見合せて逃げ出さうとしました。
すると俄《にはか》に頭の上で、
「いや/\、それはならん。」といふはつきりした厳かな声がしました。
見るとそれは、銀の冠をかぶつた岩手山でした。盗森の黒い男は、頭をかゝへて地に倒れました。
岩手山はしづかに云ひました。
「ぬすとはたしかに盗森に相違ない。おれはあけがた、東の空のひかりと、西の月のあかりとで、たしかにそれを見届けた。しかしみんなももう帰つてよからう。粟《あは》はきつと返させよう。だから悪く思はんで置け。一体盗森は、じぶんで粟餅《あはもち》をこさへて見たくてたまらなかつたのだ。それで粟も盗んで来たのだ。はつはつは。」
そして岩手山は、またすましてそらを向きました。男はもうその辺に見えませんでした。
みんなはあつけにとられてがや/\家《うち》に帰つて見ましたら、粟はちやんと納屋に戻つてゐました。そこでみんなは、笑つて粟もちをこしらへて、四《よ》つの森に持つて行きました。
中でもぬすと森には、いちばんたくさん持つて行きました。その代り少し砂がはひつてゐたさうですが、それはどうも仕方なかつたことでせう。
さてそれから森もすつかりみんなの友だちでした。そして毎年《まいねん》、冬のはじめにはきつと粟餅を貰《もら》ひました。
しかしその粟餅も、時節がら、ずゐぶん小さくなつたが、これもどうも仕方がないと、黒坂森のまん中のまつくろな巨《おほ》きな巌《いは》がおしまひに云つてゐました。
底本:「宮沢賢治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年1月28日第1刷発行
2004(平成16)年4月25日第20刷発行
初出:「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社
1924(大正13)年12月1日
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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