した。烏《からす》と鷺《さぎ》とはくてうとこの三|疋《びき》だけだったのです。
烏は毎日でかけて行って、今日こそ染めて貰《もら》ひたい今日こそ染めて貰ひたいとしきりにうるさくせつきました。
明日にしろよ、明日にしろよ、と鳶《とんび》がいつでも云ひました。それがいつまでも延びるのです。
烏が怒って、たうとうある日、本気に談判をしたのです。
『一体どう云ふ考だい。染屋と看板がかけてあるからやって来るんだ。染屋をよすならきちんとやめてしまふがいゝ。何日たっても明日来い明日来いぢゃもう承知ができない。染めるんならもうきっと今すぐやって呉れ。どっちもいやならおれも覚悟があるから。』
鳶はその日も眼を据ゑて朝から油を呑《の》んでゐましたが斯《か》う開き直られては少し考へました。染屋をやめても、金には少しも困らんが、たゞその名前がいたましい。やめたくもない。けれどもいまごろから稼《かせ》ぎたくもないしと考えながらとにかく斯う云ひました。
『ふん、さうだな。一体どう云ふふうに染めてほしいのだ。』
烏は少し怒りをしづめました。
『黒と紫で大きなぶちぶちにしてお呉れ。友禅模様のごくいきなのにしてお呉れ。』
とんびがぐっとしゃくにさはりました。そしてすぐ立ちあがって云ひました。
『よし、染めてやらう。よく息を吸ひな。』
烏もよろこんで立ちあがり、胸をはって深く深く息を吸ひました。
『さあいゝか。眼をつぶって。』とんびはしっかり烏をくはへて、墨壺《すみつぼ》の中にざぶんと入れました。からだ一ぱい入れました。烏はこれでは紫のぶちができないと思ってばたばたばたばたしましたがとんびは決してはなしませんでした。そこで烏は泣きました。泣いてわめいてやっとのことで壺からあがりはしましたがもうそのときはまっ黒です。烏は怒ってまっくろのまま染物小屋をとび出して、仲間の鳥のところをかけまはり、とんびのひどいことを云ひつけました。ところがそのころは鳥も大ていはとんびをしゃくにさはってましたから、みな一ぺんにやって来て、今度はとんびを墨つぼに漬《つ》けました。鳶はあんまり永くつけられたのでたうとう気絶をしたのです。鳥どもは気絶のとんびを墨のつぼから引きあげて、どっと笑ってそれから染物屋の看板をくしゃくしゃに砕いて引き揚げました。
とんびはあとでやっとのことで、息はふき返しましたが、もうからだ中まっ黒でした。
そして鷺《さぎ》とはくてうは、染めないまゝで残りました。」
梟《ふくろふ》は話してしまって、しんと向ふのお月さまをふり向きました。
「さうかねえ、それでよくわかったよ。さうして見ると、おまへなんかはまあ割合に早く染めて貰《もら》ってよかったねえ、なかなか細《こまか》く染まってゐるし。」
私は斯《か》う言ひながらもう立ちあがりその水銀いろの重い月光と、黒い木立のかげの中を、ふくろふとわかれて帰りました。
底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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