しろくま》といつた方がいゝやうな、いや、白熊といふよりは雪狐《ゆきぎつね》と云つた方がいいやうなすてきにもく/\した毛皮を着た、いや、着たといふよりは毛皮で皮ができてるというた方がいゝやうな、ものが変な仮面をかぶつたえり巻を眼まで上げたりしてまつ白ないきをふう/\吐きながら大きなピストルをみんな握つて車室の中にはひつて来ました。
 先登の赤ひげは腰かけにうつむいてまだ睡《ねむ》つてゐたゆふべの偉らい紳士を指さして云ひました。
『こいつがイーハトヴのタイチだ。ふらちなやつだ。イーハトヴの冬の着物の上にねラツコ裏の内外套《うちぐわいたう》と海狸《びばあ》の中外套と黒狐裏表の外外套を着ようといふんだ。おまけにパテント外套と氷河鼠《ひようがねずみ》の頸《くび》のとこの毛皮だけでこさへた上着も着ようといふやつだ。これから黒狐の毛皮九百枚とるとぬかすんだ、叩《たた》き起せ。』
 二番目の黒と白の斑《ぶち》の仮面をかぶつた男がタイチの首すぢをつかんで引きずり起しました。残りのものは油断なく車室中にピストルを向けてにらみつけてゐました。
 三番目のが云ひました。
『おい、立て、きさまこいつだなあの電気網をテルマの岸に張らせやがつたやつは。連れてかう』
『うん、立て。さあ立ていやなつらをしてるなあさあ立て』
 紳士は引つたてられて泣きました。ドアがあけてあるので室《へや》の中は俄《にはか》に寒くあつちでもこつちでもクシヤンクシヤンとまじめ腐つたくしやみの声がしました。
 二番目がしつかりタイチをつかまへて引つぱつて行かうとしますと三番目のはまだ立つたまゝきよろきよろ車中を見まはしました。
『外《ほか》にはないか。そこのとこに居るやつも毛皮の外套《ぐわいたう》を三枚持つてるぞ』
『ちがふちがふ』赤ひげはせはしく手を振つて云ひました。『ちがふよ。あれはほんとの毛皮ぢやない絹糸でこさへたんだ』
『さうか』
 ゆふべのその外套をほんとのモロツコ狐《ぎつね》だと云つた人は変な顔をしてしやちほこばつてゐました。
『よし、さあでは引きあげ、おい誰《たれ》でもおれたちがこの車を出ないうちに一寸《ちよつと》でも動いたやつは胸にスポンと穴をあけるから、さう思へ』
 その連中はぢりぢりとあと退《ずさ》りして出て行きました。
 そして一人づつだんだん出て行つておしまひ赤ひげがこつちへピストルを向けながらせなかでタイチを押すやうにして出て行かうとしました。タイチは髪をばちやばちやにして口をびくびくまげながら前からはひつぱられうしろからは押されてもう扉《とびら》の外へ出さうになりました。
 俄《にはか》に窓のとこに居た帆布の上着の青年がまるで天井にぶつつかる位のろしのやうに飛びあがりました。
 ズドン。ピストルが鳴りました。落ちたのはたゞの黄いろの上着だけでした。と思つたらあの赤ひげがもう足をすくつて倒され青年は肥《ふと》つた紳士を又車室の中に引つぱり込んで右手には赤ひげのピストルを握つて凄《すご》い顔をして立つてゐました。
 赤ひげがやつと立ちあがりましたら青年はしつかりそのえり首をつかみピストルを胸につきつけながら外の方へ向いて高く叫びました。
『おい、熊《くま》ども。きさまらのしたことは尤《もつと》もだ。けれどもなおれたちだつて仕方ない。生きてゐるにはきものも着なけあいけないんだ。おまへたちが魚をとるやうなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるやうに云ふから今度はゆるして呉《く》れ。ちよつと汽車が動いたらおれの捕虜にしたこの男は返すから』
『わかつたよ。すぐ動かすよ』外で熊どもが叫びました。
『レールを横の方へ敷いたんだな』誰かが云ひました。
 氷ががりがり鳴つたりばたばたかけまはる音がしたりして汽車は動き出しました。
『さあけがをしないやうに降りるんだ』船乗りが云ひました。赤ひげは笑つてちよつと船乗りの手を握つて飛び降りました。
『そら、ピストル』船乗りはピストルを窓の外へはふり出しました。
『あの赤ひげは熊《くま》の方の間諜《かんてふ》だつたね』誰《たれ》かが云ひました。わかものは又窓の氷を削りました。
 氷山の稜《かど》が桃色や青やぎらぎら光つて窓の外にぞろつとならんでゐたのです。これが風のとばしてよこしたお話のおしまひの一切れです。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十三巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年3月15日初版第1刷発行
初出:「岩手毎日新聞」
   1923(大正12)年4月15日
※「ウヱスキー」と「ウヰスキー」、「眠る」と「睡る」の混在は底本通りにしました。
入力:マイマイマイ
校正:小林繁雄
2005年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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