りませんでした。
 そのうち先生は教壇へ戻って二年生と四年生の算術の計算をして見せてまた新しい問題を出すと、今度は五年生の生徒の雑記帳へ書いた知らない字を黒板へ書いて、それにかなとわけをつけました。そして、
「では嘉助さん、ここを読んで。」と言いました。
 嘉助は二三度ひっかかりながら先生に教えられて読みました。
 三郎もだまって聞いていました。
 先生も本をとって、じっと聞いていましたが、十行ばかり読むと、
「そこまで。」と言ってこんどは先生が読みました。
 そうして一まわり済むと、先生はだんだんみんなの道具をしまわせました。
 それから「ではここまで。」と言って教壇に立ちますと一郎がうしろで、
「気をつけい。」と言いました。そして礼がすむと、みんな順に外へ出てこんどは外へならばずにみんな別れ別れになって遊びました。
 二時間目は一年生から六年生までみんな唱歌でした。そして先生がマンドリンを持って出て来て、みんなはいままでに習ったのを先生のマンドリンについて五つもうたいました。
 三郎もみんな知っていて、みんなどんどん歌いました。そしてこの時間はたいへん早くたってしまいました。
 三時間目になるとこんどは二年生と四年生が国語で、五年生と六年生が数学でした。先生はまた黒板に問題を書いて五年生と六年生に計算させました。しばらくたって一郎が答えを書いてしまうと、三郎のほうをちょっと見ました。
 すると三郎は、どこから出したか小さな消し炭で雑記帳の上へがりがりと大きく運算していたのです。

 次の朝、空はよく晴れて谷川はさらさら鳴りました。一郎は途中で嘉助と佐太郎と悦治をさそっていっしょに三郎のうちのほうへ行きました。
 学校の少し下流で谷川をわたって、それから岸で楊《やなぎ》の枝をみんなで一本ずつ折って、青い皮をくるくるはいで鞭《むち》をこしらえて手でひゅうひゅう振りながら、上の野原への道をだんだんのぼって行きました。みんなは早くも登りながら息をはあはあしました。
「又三郎ほんとにあそごのわき水まで来て待ぢでるべが。」
「待ぢでるんだ。又三郎うそこがないもな。」
「ああ暑う、風吹げばいいな。」
「どごがらだが風吹いでるぞ。」
「又三郎吹がせでらべも。」
「なんだがお日さんぼやっとして来たな。」
 空に少しばかりの白い雲が出ました。そしてもうだいぶのぼっていました。谷のみんなの家がずうっと下に見え、一郎のうちの木小屋の屋根が白く光っています。
 道が林の中に入り、しばらく道はじめじめして、あたりは見えなくなりました。そしてまもなくみんなは約束のわき水の近くに来ました。するとそこから、
「おうい。みんな来たかい。」と三郎の高く叫ぶ声がしました。
 みんなはまるでせかせかと走ってのぼりました。向こうの曲がり角《かど》の所に三郎が小さなくちびるをきっと結んだまま、三人のかけ上って来るのを見ていました。
 三人はやっと三郎の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も言えませんでした。嘉助などはあんまりもどかしいもんですから、空へ向いて「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐いてしまおうとしました。すると三郎は大きな声で笑いました。
「ずいぶん待ったぞ。それにきょうは雨が降るかもしれないそうだよ。」
「そだら早ぐ行ぐべすさ。おらまんつ水飲んでぐ。」三人は汗をふいてしゃがんで、まっ白な岩からごぼごぼ噴《ふ》きだす冷たい水を何べんもすくってのみました。
「ぼくのうちはここからすぐなんだ。ちょうどあの谷の上あたりなんだ。みんなで帰りに寄ろうねえ。」
「うん。まんつ野原さ行ぐべすさ。」
 みんながまたあるきはじめたときわき水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの木もなんだかざあっと鳴ったようでした。
 五人は林のすその藪《やぶ》の間を行ったり岩かけの小さくくずれる所を何べんも通ったりして、もう上の野原の入り口に近くなりました。
 みんなはそこまで来ると来たほうからまた西のほうをながめました。
 光ったりかげったり幾通りにも重なったたくさんの丘の向こうに、川に沿ったほんとうの野原がぼんやり碧《あお》くひろがっているのでした。
「ありゃ、あいづ川だぞ。」
「春日明神《かすがみょうじん》さんの帯のようだな。」三郎が言いました。
「何のようだど。」一郎がききました。
「春日明神さんの帯のようだ。」
「うな神さんの帯見だごとあるが。」
「ぼく北海道で見たよ。」
 みんなはなんのことだかわからずだまってしまいました。
 ほんとうにそこはもう上の野原の入り口で、きれいに刈られた草の中に一本の大きな栗《くり》の木が立って、その幹は根もとの所がまっ黒に焦げて大きな洞《ほら》のようになり、その枝には古い繩《なわ》や、切れたわらじなどがつるしてありました。
「もう少し行ぐづどみんなして草刈ってるぞ。それから馬のいるどごもあるぞ。」一郎は言いながら先に立って刈った草のなかの一ぽんみちをぐんぐん歩きました。
 三郎はその次に立って、
「ここには熊《くま》いないから馬をはなしておいてもいいなあ。」と言って歩きました。
 しばらく行くとみちばたの大きな楢《なら》の木の下に、繩で編んだ袋が投げ出してあって、たくさんの草たばがあっちにもこっちにもころがっていました。
 せなかに草束をしょった二匹の馬が、一郎を見て鼻をぷるぷる鳴らしました。
「兄《あい》な、いるが。兄《あい》な、来たぞ。」一郎は汗をぬぐいながら叫びました。
「おおい。ああい。そこにいろ。今行ぐぞ。」ずうっと向こうのくぼみで、一郎のにいさんの声がしました。
 日はぱっと明るくなり、にいさんがそっちの草の中から笑って出て来ました。
「善《ゆ》ぐ来たな。みんなも連れで来たのが。善《ゆ》ぐ来た。戻りに馬こ連れでてけろな。きょうあ午《ひる》まがらきっと曇る。おらもう少し草集めて仕舞《しむ》がらな、うなだ遊ばばあの土手の中さはいってろ。まだ牧馬の馬二十匹ばかりはいるがらな。」
 にいさんは向こうへ行こうとして、振り向いてまた言いました。
「土手がら外さ出はるなよ。迷ってしまうづどあぶないがらな。午《ひる》まになったらまた来るがら。」
「うん。土手の中にいるがら。」
 そして一郎のにいさんは行ってしまいました。
 空にはうすい雲がすっかりかかり、太陽は白い鏡のようになって、雲と反対に馳《は》せました。風が出て来てまだ刈っていない草は一面に波を立てます。一郎はさきにたって小さなみちをまっすぐに行くと、まもなくどてになりました。その土手の一とこちぎれたところに二本の丸太の棒を横にわたしてありました。悦治がそれをくぐろうとしますと、嘉助が、
「おらこったなものはずせだぞ。」と言いながら片っぽうのはじをぬいて下におろしましたのでみんなはそれをはね越えて中にはいりました。
 向こうの少し小高いところにてかてか光る茶いろの馬が七匹ばかり集まって、しっぽをゆるやかにばしゃばしゃふっているのです。
「この馬みんな千円以上するづもな。来年がらみんな競馬さも出はるのだづぢゃい。」一郎はそばへ行きながら言いました。
 馬はみんないままでさびしくってしようなかったというように一郎たちのほうへ寄ってきました。そして鼻づらをずうっとのばして何かほしそうにするのです。
「ははあ、塩をけろづのだな。」みんなは言いながら手を出して馬になめさせたりしましたが、三郎だけは馬になれていないらしく気味わるそうに手をポケットへ入れてしまいました。
「わあ、又三郎馬おっかながるぢゃい。」と悦治が言いました。すると三郎は、
「こわくなんかないやい。」と言いながらすぐポケットの手を馬の鼻づらへのばしましたが、馬が首をのばして舌をべろりと出すと、さっと顔いろを変えてすばやくまた手をポケットへ入れてしまいました。
「わあい、又三郎馬おっかながるぢゃい。」悦治がまた言いました。すると三郎はすっかり顔を赤くしてしばらくもじもじしていましたが、
「そんなら、みんなで競馬やるか。」と言いました。
 競馬ってどうするのかとみんな思いました。
 すると三郎は、
「ぼく競馬何べんも見たぞ。けれどもこの馬みんな鞍《くら》がないから乗れないや。みんなで一匹ずつ馬を追って、はじめに向こうの、そら、あの大きな木のところに着いたものを一等にしよう。」
「そいづおもしろいな。」嘉助が言いました。
「しからえるぞ。牧夫に見つけらえでがら。」
「大丈夫だよ。競馬に出る馬なんか練習をしていないといけないんだい。」三郎が言いました。
「よしおらこの馬だぞ。」
「おらこの馬だ。」
「そんならぼくはこの馬でもいいや。」みんなは楊《やなぎ》の枝や萱《かや》の穂でしゅうと言いながら馬を軽く打ちました。
 ところが馬はちっともびくともしませんでした。やはり下へ首をたれて草をかいだり、首をのばしてそこらのけしきをもっとよく見るというようにしているのです。
 一郎がそこで両手をぴしゃんと打ち合わせて、だあ、と言いました。
 するとにわかに七匹ともまるでたてがみをそろえてかけ出したのです。
「うまあい。」嘉助ははね上がって走りました。けれどもそれはどうも競馬にはならないのでした。
 第一、馬はどこまでも顔をならべて走るのでしたし、それにそんなに競馬するくらい早く走るのでもなかったのです。それでもみんなはおもしろがって、だあだと言いながら一生けん命そのあとを追いました。
 馬はすこし行くと立ちどまりそうになりました。みんなもすこしはあはあしましたが、こらえてまた馬を追いました。するといつか馬はぐるっとさっきの小高いところをまわって、さっき五人ではいって来たどての切れた所へ来たのです。
「あ、馬出はる、馬出はる。押えろ 押えろ。」一郎はまっ青《さお》になって叫びました。じっさい馬はどての外へ出たのらしいのでした。どんどん走って、もうさっきの丸太の棒を越えそうになりました。
 一郎はまるであわてて、
「どう、どう、どうどう。」と言いながら一生けん命走って行って、やっとそこへ着いてまるでころぶようにしながら手をひろげたときは、そのときはもう二匹は柵《さく》の外へ出ていたのです。
「早ぐ来て押えろ。早ぐ来て。」一郎は息も切れるように叫びながら丸太棒をもとのようにしました。
 四人は走って行って急いで丸太をくぐって外へ出ますと、二匹の馬はもう走るでもなく、どての外に立って草を口で引っぱって抜くようにしています。
「そろそろど押えろよ。そろそろど。」と言いながら一郎は一ぴきのくつわについた札のところをしっかり押えました。嘉助と三郎がもう一匹を押えようとそばへ寄りますと、馬はまるでおどろいたようにどてへ沿って一目散に南のほうへ走ってしまいました。
「兄《あい》な、馬あ逃げる、馬あ逃げる。兄《あい》な、馬逃げる。」とうしろで一郎が一生けん命叫んでいます。三郎と嘉助は一生けん命馬を追いました。
 ところが馬はもう今度こそほんとうに逃げるつもりらしかったのです。まるで丈《たけ》ぐらいある草をわけて高みになったり低くなったり、どこまでも走りました。
 嘉助はもう足がしびれてしまって、どこをどう走っているのかわからなくなりました。
 それからまわりがまっ蒼《さお》になって、ぐるぐる回り、とうとう深い草の中に倒れてしまいました。馬の赤いたてがみと、あとを追って行く三郎の白いシャッポが終わりにちらっと見えました。
 嘉助は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる回り、そのこちらを薄いねずみ色の雲が、速く速く走っています。そしてカンカン鳴っています。
 嘉助はやっと起き上がって、せかせか息しながら馬の行ったほうに歩き出しました。草の中には、今馬と三郎が通った跡らしく、かすかな道のようなものがありました。嘉助は笑いました。そして、(ふん、なあに馬どこかでこわくなってのっこり立ってるさ、)と思いました。
 そこで嘉助は、一生懸命それをつけて行きました。
 ところがその跡のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、おとこえ
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