ぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
 梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽《せき》をしていましたが、やっと心を取り直して、又講義をつづけました。
「みなの衆、まず試《ため》しに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧《ろう》じ。な。天道《てんとう》さまが、東の空へ金色《こんじき》の矢を射なさるじゃ、林樹は青く枝《えだ》は揺《ゆ》るる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのじゃ、ひるごろならば、涼《すず》しい葉陰《はかげ》にしばしやすんで黙《だま》るのじゃ、又ちちと鳴いて飛び立つじゃ、空の青板をめざすのじゃ、又小流れに参るのじゃ、心の合うた友だちと、ただ暫《しば》らくも離れずに、歌って歌って参るのじゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶《と》けるごとくじゃ。いつかまぶたは閉じるのじゃ、昼の景色を夢《ゆめ》見るじゃ、からだは枝に留《とど》まれど、心はなおも飛びめぐる、たのしく甘《あま》いつかれの夢の光の中じゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕《おどろ》き見れば、わが身は裂けて、血は流れるじゃ。燃えるようなる、二つの眼《め》が光ってわれを見詰《みつ》むるじゃ。どうじゃ、声さえ発《た》とうにも、咽喉《のど》が狂《くる》うて音が出ぬじゃ。これが則《すなわ》ち利爪《りそう》深くその身に入り、諸《もろもろ》の小禽痛苦又声を発するなしの意なのじゃぞ。されどもこれは、取らるる鳥より見たるものじゃ。捕《と》る此方《こなた》より眺《なが》むれば、飛躍してこれを握《つか》むと斯《こ》うじゃ。何の罪なく眠れるものを、ただ一打《ひとうち》ととびかかり、鋭《するど》い爪《つめ》でその柔《やわらか》な身体《からだ》をちぎる、鳥は声さえよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑《あざわら》いつつ、引き裂くじゃ。何たるあわれのことじゃ。この身とて、今は法師にて、鳥も魚も襲《おそ》わねど、昔《むかし》おもえば身も世もあらぬ。ああ罪業《ざいごう》のこのからだ、夜毎《よごと》夜毎の夢とては、同じく夜叉の業をなす。宿業《しゅくごう》の恐ろしさ、ただただ呆《あき》るるばかりなのじゃ。」
 風がザアッとやって来ました。木はみな波のようにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂《ただよ》う舟《ふね》のようにうごきました。
 そして東の山のはから、昨日《きのう》の金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠《や》せて上りました。林の中はうすいうすい霧《きり》のようなものでいっぱいになり、西の方からあの梟のお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。

       *

 旧暦《きゅうれき》六月二十六日の晩でした。
 そらがあんまりよく霽《は》れてもう天《あま》の川《がわ》の水は、すっかりすきとおって冷たく、底のすなごも数えられるよう、またじっと眼をつぶっていると、その流れの音さえも聞えるような気がしました。けれどもそれは或《あるい》は空の高い処を吹いていた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろうの向う側にでもあるように、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしていましたから。
 獅子鼻《ししはな》の上の松林《まつばやし》には今夜も梟の群が集まりました。今夜は穂吉が来ていました。来てはいましたが一昨日《おととい》の晩の処にでなしに、おじいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがい、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸《ちょっと》盃《さかずき》のような形になった処へ、どこから持って来たか藁屑《わらくず》や髪《かみ》の毛などを敷《し》いて臨時に巣《す》がつくられていました。その中に穂吉が半分横になって、じっと目をつぶっていました。梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまわりに座《すわ》って、穂吉のからだを支えるようにしていました。林中のふくろうは、今夜は一人も泣いてはいませんでしたが怒《おこ》っていることはみんな、昨夜《ゆうべ》どころではありませんでした。
「傷《いた》みはどうじゃ。いくらか薄《うす》らいだかの。」
 あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊《たず》ねました。穂吉は何か云《い》おうとしたようでしたが、ただ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答えました。
「折角《せっかく》こらえているようでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞《ちょうもん》いたしたいというようでございましたので。もうどうかかまわずご講義をねがいとう存じます。」
 梟の坊さんは空を見上げました。
「殊勝《しゅしょう》なお心掛《こころが》けじゃ。それなればこそ、たとえ脚《あし》をば折られても、二度と父母の処へ
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