くさんおりました。けれどもプハラのひとたちは、どじょうやなまずは、みんなばかにして食べませんでしたから、それはいよいよ増えました。
 なまずのつぎに多いのはやっぱり鯉《こい》と鮒《ふな》でした。それからはやもおりました。ある年などは、そこに恐ろしい大きなちょうざめが、海から遁《に》げて入って来たという、評判などもありました。けれども大人《おとな》や賢《かしこ》い子供らは、みんな本当にしないで、笑っていました。第一それを云《い》いだしたのは、剃刀《かみそり》を二|梃《ちょう》しかもっていない、下手《へた》な床屋《とこや》のリチキで、すこしもあてにならないのでした。けれどもあんまり小さい子供らは、毎日ちょうざめを見ようとして、そこへ出かけて行きました。いくらまじめに眺《なが》めていても、そんな巨《おお》きなちょうざめは、泳ぎも浮《うか》びもしませんでしたから、しまいには、リチキは大へん軽べつされました。
 さてこの国の第一条の
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
 毒もみをして魚をとってはなりません。」
 というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教えます。
 山
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング