い料理店ですからどうかそこはご承知ください」
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「なかなかはやつてるんだ。こんな山の中で。」
「それあさうだ。見たまへ、東京の大きな料理屋だつて大通りにはすくないだらう」
 二人は云ひながら、その扉をあけました。するとその裏側に、
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「注文はずゐぶん多いでせうがどうか一々こらえて下さい。」
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「これはぜんたいどういふんだ。」ひとりの紳士は顔をしかめました。
「うん、これはきつと注文があまり多くて支度が手間取るけれどもごめん下さいと斯《か》ういふことだ。」
「さうだらう。早くどこか室《へや》の中にはひりたいもんだな。」
「そしてテーブルに座りたいもんだな。」
 ところがどうもうるさいことは、また扉《と》が一つありました。そしてそのわきに鏡がかゝつて、その下には長い柄のついたブラシが置いてあつたのです。
 扉には赤い字で、
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「お客さまがた、こゝで髪をきちんとして、それからはきもの
 の泥を落してください。」
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と書いてありました。
「これはどうも尤《もつと》もだ。僕もさつき玄関で、山のなかだとおもつて見くびつたんだよ」
「作法の厳しい家《うち》だ。きつとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。」
 そこで二人は、きれいに髪をけづつて、靴の泥を落しました。
 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうつとかすんで無くなつて、風がどうつと室の中に入つてきました。
 二人はびつくりして、互によりそつて、扉をがたんと開けて、次の室へ入つて行きました。早く何か暖いものでもたべて、元気をつけて置かないと、もう途方もないことになつてしまふと、二人とも思つたのでした。
 扉の内側に、また変なことが書いてありました。
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「鉄砲と弾丸《たま》をこゝへ置いてください。」
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 見るとすぐ横に黒い台がありました。
「なるほど、鉄砲を持つてものを食ふといふ法はない。」
「いや、よほど偉いひとが始終来てゐるんだ。」
 二人は鉄砲をはづし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。
 また黒い扉がありました。
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「どうか帽子と外套《ぐわいたう》と靴をおとり下さい。」
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「どうだ、とるか。」
「仕方ない、とらう。たしかによつぽどえらいひとなんだ。奥に来てゐるのは」
 二人は帽子とオーバコートを釘《くぎ》にかけ、靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはひりました。
 扉の裏側には、
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「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡《めがね》、財布、その他金物類、
 ことに尖《とが》つたものは、みんなこゝに置いてください」
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と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちやんと口を開けて置いてありました。鍵《かぎ》まで添へてあつたのです。
「はゝあ、何かの料理に電気をつかふと見えるね。金気《かなけ》のものはあぶない。ことに尖《とが》つたものはあぶないと斯《か》う云ふんだらう。」
「さうだらう。して見ると勘定は帰りにこゝで払ふのだらうか。」
「どうもさうらしい。」
「さうだ。きつと。」
 二人はめがねをはづしたり、カフスボタンをとつたり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠をかけました。
 すこし行きますとまた扉《と》があつて、その前に硝子《がらす》の壺《つぼ》が一つありました。扉には斯《か》う書いてありました。
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「壺のなかのクリームを顔や手足にすつかり塗つてください。」
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 みるとたしかに壺のなかのものは牛乳のクリームでした。
「クリームをぬれといふのはどういふんだ。」
「これはね、外がひじやうに寒いだらう。室《へや》のなかがあんまり暖いとひびがきれるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほどえらいひとがきてゐる。こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづきになるかも知れないよ。」
 二人は壺のクリームを、顔に塗つて手に塗つてそれから靴下をぬいで足に塗りました。それでもまだ残つてゐましたから、それは二人ともめいめいこつそり顔へ塗るふりをしながら喰べました。
 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、
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「クリームをよく塗りましたか、耳にもよく塗りましたか、」
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と書いてあつて、ちひさなクリームの壺がこゝにも置いてありました。
「さうさう、ぼくは耳には塗らなかつた。あぶなく耳にひゞを切らすとこだつた。こゝの主人はじつに用意周到だね。」
「あゝ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくは早く何か喰べたいんだが、どう
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